2部分:第二章
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第二章
「他には平安時代の公家の人が」
「同性愛のことを日記で堂々と書いていいものか」
その頃の日記は他人も読むことを前提として書いてあった。土佐日記がそのいい例である。
「自分が女役になったことまで。誇らしげに書いていることが信じられなかった」
「我が国では普通だったからね」
同性愛がだ。日本では普通だったというのだ。
「今も。実は結構ね」
「日本では同性愛で捕まった人間はいないのか」
「歴史上一人もいないよ」
ただし同性愛のもつれから権力闘争になったりそちらの痴話喧嘩から敵討ちになった話はある。しかしそれが咎になったことはないのである。
「というかイギリスというか欧州では捕まったんだね」
「最近ようやく肯定的になってきたが」
「何か不自由だね」
「そうしたことに寛容な日本という国は」
その文化や歴史までを内包しての言葉である。
「いや、これは凄い」
「そういう意味で凄いんだ」
「誰が同性愛を嗜んでいたかまで赤裸々に書いて誰もそれを批判したりしないとは」
「それどころか江戸時代では若い武士がお互いの友情を確かめ合う為にってこともあったからね」
「それも凄い。全く以て凄い」
そしてだ。イギリス人は言ったのだった。
「オスカー=ワイルドも日本にいれば捕まらなかっただろう」
「絶対にね。それはなかったよ」
「そのことは惜しいことだ」
こう言うのであった。日本の文化や歴史を知ってだ。このイギリス人はこのことを悔やんだのだった。同性愛に寛容ならばだと。同性愛者ではない彼がだ。
日本では大丈夫 完
2011・3・24
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