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FOOLのアルカニスト
英雄との鍛錬
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ことなどできようはずもないと、考えもしなかった徹であったが、今やそれなりに渡り合えることを思えば、実力の向上だけではなく、やはり慣れというものがあることは、否定できない事実であった。たとえ、それが多大な手加減のおかげであったとしても。

 そう、李書文は手加減している。これは当然である。今やLV36になる徹といえど、そのLV差は30以上あるのであり、まともにやりあえば勝負になどならないのであるから。そもそも悪魔に武術を始めとした技術は必要ない。なぜなら、その能力は人間など比べくもないものであるからだ。どんなに技を磨いても抗えない絶対の力を悪魔達は最初から持っているのであるから、当然といえば当然である。

 しかし、李書文はあえて武技を用いて戦っている。さらに能力を徹とほぼ同等にまで制限して、必要のない真っ向勝負で。そこまでしないと勝負にならないのは勿論、その武技を伝授する為にも必要不可欠のことであったからだ。

 だが、雷鋼の真意は英雄の武技の継承ではない。それ以上に、自身以外との対人戦を経験させることこそがその真意であった。李書文は仲魔といっても、元々人間から英雄へと昇華された存在であり、その武技は人間を源流にしながらも遥かに超越しているとはいえ、その外見や肉体、思考や精神は悪魔として具現化してなお、非常に人間のものと近しい。

 そして、李書文は拳法で近距離を、槍で中距離を支配する。白兵戦においては右に出る者はいないといえよう。ゆえに、李書文との鍛錬は、対人戦の経験という意味では、千金以上の価値がある……というところだが、雷鋼の真の狙いはもっと根本にある。

 ところで、戦争であっても敵を前にすると、銃を撃てないし、弾は当たらないという話をご存知だろうか。ベトナム戦争以前の米軍では、銃を使う兵士たちのうち発砲したのは15%〜20%であり、8割の兵士は発砲しないで戦闘を終えていたそうだ。これは人を殺すと言う行為がいかに人にとってきついものであるかを示している。しかも、しっかり訓練を受けた銃社会の住人である米兵がこの有様なのだ。治安の良さにあぐらをかいて平和ボケしている日本人など、どうなるかいうまでもない。

 徹のように一般人からサマナーに転じた者はそれが特に強い。要するに、悪魔は殺せても人間は殺せないということだ。殺し殺されが普通の世界で、これははっきり言って致命的な弱点である。サマナーさえ、無事なら再召喚や増援の悪魔を召喚することもできるし、そもそも人間より強大な悪魔を狙うより、脆弱な人間であるサマナーを狙ったほうが合理的だし、効率もいいのだから当然だ。そして、何よりも人間の敵は最終的には人間なのだから。それを雷鋼はよく理解していた。

 ゆえにこそ、その解決策が李書文との鍛錬なのだ。白兵戦は様々なものを露にする。銃では得ら
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