第四十話 大阪の華その六
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「志賀直哉とかって感じじゃないな」
「そうよね、というか志賀直哉って奈良にもいたけれど」
今度は菊が薊に言った。
「奈良は成程って思えるけれど」
「大阪ってイメージじゃないな」
「そうよね」
「谷崎潤一郎も大阪にいたことがあったけれど」
菖蒲がまた話に入って来た。
「それでもね」
「あの人は京都とか神戸ってイメージだな」
「そうでしょ」
「ああ、そんな感じだな」
「大阪は当時の純文学的じゃなかったかも知れないわ」
今はともかくとだ、菖蒲もまた難波のその雑多だが活気のある、賑やかな街の中を進み歩きながら話した。
「どうもね」
「賑やかでもか」
「そう、賑やかさよりも静かさ」
「当時の純文学はか」
「そうしたものだったかも知れないわ」
こう話すのだった、薊に。
「文壇はね」
「今はどうなんだろうな」
「純文学といってもかなり広くなったから」
「大阪を書いてもか」
「異端でもなくなったみたいよ」
織田作之助の様な作風でも、というのだ。
「別にね」
「それはいいことじゃね?」
「私もそう思うわ。織田作之助賞という賞もあるし」
その織田作之助の名前を冠した賞のことも話に出た。
「関西文学の良作に与えられる賞よ」
「そんな賞もあるんだな」
「そうなの」
「じゃあ織田作之助さんは」
「大阪を舞台とした大衆文学の開拓者と言っていいわ」
「今は異端じゃないんだな」
「そうね、主流派じゃないかも知れないけれど」
異端ではなくだ、開拓者だというのだ。菖蒲は薊に彼のことをこう話した。そしてそのうえでこうしたことも言った。
「道頓堀の辺りにね」
「ああ、今からか」
「行かない?」
薊だけでなく他の面々にも言ったのだった。
「これから」
「もうたこ焼きかお好み焼きしか入らないぜ」
薊は道頓堀と聞いて笑って菖蒲の言葉に返した。
「幾ら何でもな」
「いえ、食べることもあるけれど」
「他にも目的はあるか」
「あそこを歩くだけでも」
ただそれだけでも、というのだ。
「風情があるから」
「大阪の風情だよな」
「そう、奇麗とはまた違った」
「雑然としてるっていうかね」
向日葵はその道頓堀をこう評した。
「賑わっている」
「賑わいを楽しむ場所か」
「そう、あそこはね」
「確かにそうした場所も観光地だよな」
観光といっても様々だ、ただ奇麗な場所を観に行くだけではない。そうした賑わっている場所を観て楽しむこともまた観光なのだ。
それでだ、向日葵も言うのだ。
「だからね」
「その賑わいを楽しむ為にか」
「行く?薊ちゃんも」
薊にこう問うのだった。
「これから」
「ああ、じゃあな」
薊は特に反対することもなく答えた。
「案内してくれるかい
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