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第一章
最後のストライク
そういう時代だったと言ってしまえばそれで終わりだ。そう、結局はそういう一言で終わってしまう。あの時代はそういう時代だったのだ。
今とは全然違う時代であった。戦争に全てが覆われ、そして多くの命がその中に散っていた。それの善悪を今更言っても何もはじまりはしない。結局その時代に生きた人でなければわからない、後世の我々が一方的に断を下していいものではないのだ。
しかしその中で生き、そして散華していった人達のことは語ることが出来る。これはそうしたその多くの中の一人の人の話である。戦争の中の話だ。
石丸進一。彼は大正十二年七月二十四日に生まれた。父は地元で理髪業を営んでいた。十一人兄弟の五男坊であった。当時は子沢山であったがそれでも多い方であった。
この時はまだ平和だった。日露戦争、そして第一次世界大戦を終えた日本は国際社会においてそれなりの地位を得ていた。今と比べると実にちっぽけで小さい国だった。けれども人々は懸命に生きていた。そしてその中で彼も生まれたのであった。
明治から多くのものが流入し、人々はそれを受け入れていった。その中の一つに野球があった。
ボールを投げ、バットで打ち、グローブで捕る。単純と言えば単純だがそこには多くのものがある。彼はそこに魅せられた。そして昭和も二桁になると日本にも職業野球をと言う声が出て来た。
まずは巨人が。そして大阪、今の阪神が。それから次々と球団が出来、そして日本職業野球連盟が出来上がった。
創成期のプロ野球だ。沢村栄治という伝説がいた。今見れば実に小柄な男だった。だが足を高々とあげて投げる剛速球は誰にも打てはしなかった。そしてスタルヒンがいて、川上哲治がいた。藤村富美男とい千両役者もいれば景浦将という男もいた。古い、もう人々の記憶にあるものではなく伝説の時代の話になっている。
その中に名古屋軍があった。今の中日ドラゴンズだ。この球団も長い歴史を持っている。
そしてそこに一人の選手がいた。石丸藤吉。石丸進一の実の兄だ。彼は野球選手として活躍し、父の借金を払っていた。親孝行な人物であった。
弟の進一は兄の影響だろうか。彼も野球をしていた。佐賀商業野球部において彼はピッチャーとして活躍していた。小柄ながら全力で投げ、そして打った。彼は野球の虫だった。
「俺は絶対に甲子園に行くんだ」
その時の彼の口癖だ。そう言っていつも野球をしていた。
来る日も来る日も。だが結局彼は甲子園には行けなかった。やはり甲子園の壁は厚かったのだ。
そして時代も。時代は徐々に暗くなろうとしていた。
中華民国との戦争は泥沼化し、何時終わるかすらわからない状況であった。そしてアメリカとの関係も悪化の一途を辿っていた。国家総動員令が公布
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