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猫の憂鬱
第3章
―8―
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何で轢くねん!」
「見えーん、見えん、何も見えーん。」
そうだ、ジュディオング、ジュディオングを歌って居るんだ、と尻の衝撃で思い出した八雲はすっきりした。余りにも音程が違い過ぎ、秀一の歌ははっきり云って何を歌っているか判らない。
あ、ジュディオングか、と時一も納得した。
昨日は何か、モーニング娘。を歌っていた。
時代がおかしいんだよな、と全員思うが、秀一が今時の歌を知る筈が無い、世間に興味が無いのだから。
うぃーーーんとセグウェイは廊下端で迂回し、ナイトメア聞く、とラボの中に入った。
聞け聞け。悪魔だろうが悪夢だろうが、なんでも聞け。世界でも終わらせていろ。
「態勢低いと、見えんでもあんま不安無いな。」
「四本でバランス取れてるからじゃない?」
「そっちか。」
這うように八雲は進み、一通り廊下端迄行った。一息付いた其の時、目の前で響いたエレベーターの起動音に飛び上がり、そんな八雲の姿に、やっだ本当の猫みたい、と時一が笑った。
「ほんらな、時一さん、してよ。めっちゃ怖いよ、此れ。」
「あー、良いよ、僕は。」
「見えんて、怖いな。」
「怖いよ。其の怖さは良く判る。」
だから僕の左側に立たないでね、と時一は喫煙所のドアーを開き、腕だけ伸ばすと灰皿の横に灰を落とした。其の言葉に、しまった、と八雲は口を塞ぎ、然し今更遅い。
時一は左側が見えない。幼少時代の事故で完全に失明し、義眼が入っている。だから何時も左側の前髪を垂らしている。
確かに片方側が見えないのは不便ではあるが、慣れてしまえば案外平気である。あのソマリも、生まれた時から見えて居ないのだから、其れが当たり前で、多分、多分だが、自分以外が物を見る、見える生き物だと云うのを知らない。皆自分と同じに見えない生き物だと思っているかも知れない。
其れは其れで、幸せである。当人は全く気にして居ない、君達が見えるのが当たり前のように、僕達は見えないのが当たり前だから。其れで同情される覚えは無い、寧ろ憐れまれると、人間の醜さを知る。
憐れむ、詰まり、優劣。自分より劣っていると思う思考、時一は反対に其奴を憐れむ。
開いたドアーに八雲は又跳ね、ドアーとは逆側に尻を付いた。
「何のプレイだ、何の。」
楽しそうだな、混ぜろ、と低く掠れた声がした。
「なんや、課長さんか。」
「本当、此処は軽いSMクラブだな。主任の御趣味か、悪趣味の骨頂。」
秀一は手錠とガムテープ、八雲は目隠しで四つん這い、此れに鞭があれば良いが、と靴音を響かせた。
「何ぃ、此れ何ぃ。」
課長の持つ紙袋を四つん這いで追う八雲は、猫と一緒にひぃひぃひぃと云い乍ら鼻を近付けた。
「なんだと思う?よしよし。」
しゃがんだ課長は八雲の頭に手を伸ばしたが、瞬間八雲がびくんと後ろに跳ねた。
「…済まん。触るぞ。」

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