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Lirica(リリカ)
歌劇――あるいは破滅への神話
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機嫌なのではなく、怯えているのだとわかった。
 震える指からカップが滑り落ちた。
 明かりが全て消えたのはその時だった。
 部屋はたちまち夜と同化して、夜と同じく冷えた。
 領主は固まって動かない。奥方は肩の震えを止める。遠く門の開く音が聞こえた時、奥方は顔から両手を離した。
 蹄の音が庭から迫ってくる。その音は止まらず、屋敷の壁を突き抜け、ついに部屋の前にまで迫った。
 部屋の壁に、三つの青白い馬の首が生えた。
 馬は胸を、そして前脚を、領主の前に現した。長い胴と後ろ脚と、整えられた尾を現した。
 ついで、同じく青白い御者が冷たい炎として現れた。御者の後には馬車が続いた。それは領主の前を通過した。領主は馬車の中で俯く若い娘を見た。花嫁のヴェールで顔を隠した、間違いようのない、その娘の正体と運命を悟った。
 馬車は部屋の反対の壁に吸いこまれ、姿を完全に消した。
 領主は一人立った。歩いて部屋を出る。廊下の闇に消える。彼はたった一人で深い闇を歩いた。
 瞬きをすると、場面が変わった。
 牢に女が幽閉されている。
「星占よ」
 鉄格子の前に立ち、領主が言った。
「我が娘の……」
「星は告げておりました。本日、この地にリデルの守護の及ばぬ事を」
 星占は髪を梳く手を止め、立ち上がった。
「敵対する翼神トゥロスの星が南座にて耀う事を、その日に婚礼の儀として狩猟を行えば、いかな厄災が降りかかろうかを、私は告げ申した……」
 領主は震える手で顔を押さえた。
「エシカ様に、もはやリデルの保護の手は及びますまい。今宵最も力を増すトゥロスの膝下にて咎を受ける事でしょう」
「いずれの」
 領主は顔を隠したまま言った。
「星占よ、いずれの神が我が娘を咎めから救い給うか」
「エシカ様は既に翼神の元へと旅立たれた」
 鉄格子に歩み寄り、領主に囁く。
「あるいは死者の国の旅路にて、翼神の懐へ続く道へと入る前に、狩猟神リデルへと続く道へと案内(あない)を致す事が叶えば、話は変わるでしょう」
「よかろう……」
 領主は手をおろす。
「承知した」
 その手を懐に差しこみ、隠していた短剣を抜いた。
「星占よ、お前は死者の国へと旅立ち、我が娘エシカをリデルのもとへと導くのだ」
「褒賞は」
「処刑を取りやめ、苦痛の乏しい速やかな死を許す」
 領主は鉄格子越しに、星占に短剣を差し出した。細い白い指が、それを受け取った。
 星占はまだ少女だった。少女の両手が短剣を握り、頭上に振りかざした。大きく腰を曲げ、己の胸に突き立てる。そのなりゆきに、ウラルタは息をのんだ。
 牢を照らす灯りが一つ、また一つ消えていく。
 そして舞台は、雪雲に覆われた太陽がおぼろに照らすのみとなった。
 いつしかウラルタは、舞台を見下ろす客席に座っていた。
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