暁 〜小説投稿サイト〜
Lirica(リリカ)
歌劇――あるいは破滅への神話
―1―
[2/3]

[8]前話 [1] [9] 最後 最初 [2]次話

「名は何だ」
 唐突に影は尋ねた。少女は黙り、気まずさを噛みしめた後答えた。
「ウラルタ」
「覚えておけ、名を持つ者。記憶を垂れ流すな。それは我らの輪郭を崩壊させる。それゆえお前は監禁されたのだと、忘れるな」
 影は歩き出す。少女は喋らない。喋らず、心で繰り返す。私はウラルタ。イグニスのウラルタ。監獄塔の少女。命への反逆者。
 凍る鉄路を伝って、影とウラルタは地に降りた。
 広場は暗かった。中央に常緑樹が鋭く立ち、枝といわず葉と言わず白い雪をいっぱいに載せ、乏しい空の光を遮っていた。
 有害な蒸気のように、影が四方から湧き上がってきた。足許まで伸びてきた影に、ウラルタはしゃがみこみ触れた。おぼろな記憶が見えた。男が暖炉の上に旗を飾っている様子をじっと見ている記憶だった。
「監獄塔の娘……」
 影が語る。ウラルタは別の影に触れた。血で汚れた手の記憶が見えた。
「何故私を呼んだの」
「お前はここから出て行かなければならない」
 ウラルタは唾を呑む。
「わかってたわ、いつかそう言われるって。厄介払いがしたいんでしょ」
 意外にも、「違う」、それが影の答えだった。
「我々は消えつつある」
 ウラルタは続きを待った。
「かつて世界は無数の相に分かたれていた。相は収縮し、星は消えた。厚い雲の奥に隠れた。我らは肉を失い彷徨うおぼろな影となった。お前を除いてだ、ウラルタ。名を持つ者」
「誰しも名を持っていたわ。あんただってそうでしょ」
「私はいない。私は『根』。無数の影の寄せ集め。個の集合体でもなければ、集合体から生まれた個でもない」
 ウラルタはぞっとして雪雲を見上げ、数秒、影がいない場所へと意識を逃がした。
「影たちは望んで根に吸収され、そうでなければ記憶をかき集めて無理な実体化を試み、死を迎える」
 そうして我々は消えつつある、と、影は繰り返した。
「何故そのような死を迎えるのだ。過去とはそれほど甘美なものなのか」
「知らないわ。私にとってはそうじゃない――」
「神と星が消えた世界にお前は落ちてきた。その姿のまま落ちてきた。過去生の記憶を保持したまま。その事の意味は分からぬが、意味を与える事はできる」
 ウラルタは再び足許を見た。影は広場いっぱいに広がっていた。
「もしも過去に希望があるのなら、お前はそれを探し出せ。世界が変遷する意味があるのなら、それを探し出せ」
「もし両方ともなかったら?」
「世界を破壊しろ。肉体を持つお前にはそれができる」
 ウラルタは突っ立ったまま途方に暮れた。
 私は過去にだって希望がない。素晴らしい記憶もない。だから死んだ。
 あるいは、自殺という罪を犯したウラルタなら、もう一度世界の自殺という罪に手を染める事ができると、影達は期待しているのかもしれなかった。
「私はそち
[8]前話 [1] [9] 最後 最初 [2]次話


※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりをはさむしおりを挿む
しおりを解除しおりを解除

[7]小説案内ページ

[0]目次に戻る

TOPに戻る


暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ

2024 肥前のポチ