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Lirica(リリカ)
意味と狂人の伝説――収相におけるナエーズ――
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満していた。視野を塞ぐ煙はペシュミンを恐怖に陥れるには十分だった。
「ママぁ」
 顔をくしゃくしゃにし、泣きながらあてどなく煙の中を歩いた。どの方向から母に連れられて来たのか思い出せず、何となくそうだと思う方へ歩いていく。泣いていれば、いつも通りにママが来て、泣きやむまでそばにいてくれると期待した。
「ママー! ママ、どこぉ」
 手が見えた。煙を布のようにかき分けて、ロロノイが現れた。
「おい、チビ!」
 目を大きく見開いたロロノイの後ろ。
 剣が振り上げられた。ロロノイは気配に気付き、剣をかざすが遅かった。ロロノイの剣は敵兵の剣を弾く事なく虚しく空を切り、空中で動きを止めて、しばし後手から滑り落ちた。
 ロロノイはペシュミンを振り返った。
 何か言おうとした。代わりに口から血が溢れた。彼が言葉を残そうとする度、泡立つ血が顔を汚し、ついに横ざまに倒れた。
 血が筋を描く剣を手に、グロズナの若い兵士が立っていた。兵士はロロノイが最期に見たものを、即ちペシュミンを見た。彼は硬直し、顔に恐れを滲ませて立ち竦んだ。彼はペシュミンが無力だから恐れた。ペシュミンが無害だから恐れた。立ち尽くしていれば、その存在が、一つの惨い運命が消えるのではないかと期待して、兵士は動かない。あるいは動かずにいれば、己が殺すべき相手が無力ではなくなる事を、かくも幼くはなくなる事をどこかで期待して。
 殺戮が階段を上がって来た。それは煙の向こうから迫り、呆けている若い兵士を突き飛ばし、彼に怒号を浴びせてペシュミンの眼前に立った。
 ペシュミンは自分を殺す兵士の顔を見なかった。誰であれ、どのような顔であれ、関係なかった。
 運命も、受け容れるという事も知らぬ幼子に、なお運命の剣は振り下ろされた。
 蜂が見えた。
 それは、最期に惨いものを、あまりにも惨いものを見ずに済むよう現れた慈悲であった。ペシュミンは天井付近に滞空する一匹の蜂を凝視した。ゆえに、剣の鈍い光も、それが振り下ろされる軌跡も、刃が己の皮膚と脂肪と肉を袈裟掛けに切り裂いて、幼い体をその一撃で破壊する様子も見ずに済んだ。ただ突き飛ばされるような衝撃を感じ、その力の強さに驚いた。痛いとは思わなかった。熱かった。
 蜂はまだ高い所からペシュミンを見守っていた。
「蜂さん」
 命の暗闇の中で、ペシュミンは動かぬ手を伸ばす。出ない声で呼ぶ。蜂は暗闇の底へ沈むように消えて行った。
「蜂さん、待って。どこに行くの?」
 ペシュミンは歩いて蜂を追った。
「蜂さん、蜂さん」
 光射す。蜂を照らす。闇が消え、熱さも消えた。
 野の花が咲き乱れる丘に、ペシュミンは立っていた。
 弾ける夏の光と風が花々を香り立たせる。見下ろす川は故郷のカルプス川。川向こうに緑の麦が実り、のどかに昇る煙は、村の炊事の煙だ。

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