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Lirica(リリカ)
意味と狂人の伝説――収相におけるナエーズ――
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居室。やつれた娘は青い絨毯の上に虚ろな表情で棒立ちになり、されるがままだ。ナザエの頬が顔を濡らしても、もはや何も感じぬ様子だった。地獄の階下を省みず、ナザエはペシュミンを離さない。もう二度と会えないのに、どうして放す事ができる?
「ママ?」
 どこか眠そうな調子でペシュミンが呼ぶ。ナザエは手で顔を拭き、濁って深みのない、知能が後退したようなペシュミンの瞳を見つめた。
「大丈夫、ペシュミン。あなたは神様が守ってくれる」
 髪を撫でた。そのまま細い肩に触れ、二の腕へ、肘へと手を滑らせ、最後に掌を握った。
「セルセト人のお兄さん達が守ってくれるから、みんなが逃げ道を探してるから、それに、神様が――」
 ナザエは娘を抱き上げ、衣装戸棚に隠した。
「ママ、どこ行くの?」
「神ルフマンに祈りなさい……感謝なさい、大丈夫、大丈夫だから……」
 戸に手をかける。自らの手で、娘と自らを隔てなければならなかった。それは辛かった。けれど、今は別れの辛さに勝てる強さがあった。ペシュミンが娘だから。自分が母親だから。
「いい? ここから出ては駄目よ。誰が来ても、何が聞こえても駄目よ」
「ママ、ママどこ行くの? ねえママ」
 ナザエは耳に届く物音から、階段のすぐ下で戦いが行われている事を察した。これ以上ここにいてはペシュミンが危険にさらされる。ここには誰も来なかった。ここには誰もいない。そう思わせなければならない。
 衣装戸棚が閉ざされる。
 母親の気配が遠ざかって行った。
 ペシュミンとてもはや戦争の意味がわからぬ筈がない。だから待った。暗闇で膝を抱えて静けさが戻るのを待った。
 きっとママは帰って来ないのだ、あの日村から連れて行かれた父親と同じように。
 けれど、神が信徒を守るというのなら、信仰が自分を守るというのなら、それを信じたかった。
「瑠璃の界にまします神ルフマンよ、ねがわくはみくにのへいわがちにもたらされんことを――」
 物心ついた頃から唱えていた祈りを繰り返す。
 花がないと思い至る。ルフマンに捧げる花がない。ああ、花がないと。花がないと聞いてもらえないかもしれない。助けてもらえないかもしれない。
「ママ」
 ペシュミンは涙を流す。
 母が恋しかった。どこにいるともわからぬ神よりも。
 物の焼ける臭いが戸の向こうから漂ってきた。豊作を祈る祭りの篝火に少し似た、けれどそれより色々な臭いの混じった、脂っこい臭いだった。
「ママ!」
 少しだけ、少しだけ、ママを捜すだけ。言いつけを破って衣装戸棚を出た。部屋の大きな窓の外は煙で何も見えなかった。
「ママ、ママー!」
 呼び始めると我慢できなくなった。母親がどこに行ったかなど知る筈もなかった。ペシュミンは叫びながら廊下にさまよい出た。歩廊から風に乗って流れてきた煙が辺りに充
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