王の荒野の王国――木相におけるセルセト――
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知性を感じさせる。若い女で、異国の、高貴な身分の人であると綾香は直観した。
欲しい、と思った。黒曜石の鏡を胸に抱きしめた。
欲しい。欲しくて、欲しくて、仕方がない。
こんな事をするのは普通ではない、わかっている。わかっていながら、制服のベストを脱ぎ、それで黒曜石の鏡を包むのを止める事ができず、止めたいとも思わなかった。綾香は本殿を飛び出して、靴の踵を踏んだまま、会社に逃げ戻った。
更衣室には誰もいなかった。ロッカーの鍵を開け、トートバッグに鏡を入れて、ハンドタオルで隠す。
神罰という語が頭に渦巻いていた。ご神体を盗んでしまった。さあ、バチが当たるぞ。全身に汗をかきながら、体の震えが止まらない。どうしてこんな事を?
わかっている。根拠のない確信があったからだ。
この鏡は自分の物だと確信したから、持ってきたのだ。
土気色の顔で体の震えを殺し、廊下に出る。早急にコールセンターに戻る必要があった。
綾香はトイレに寄り、もう一度心を落ちつけようとした。そして、手洗い場の鏡に映る顔を見て驚いた。
この冴えない顔をした女は誰だろう。パサついた黒い髪と、細長い目。その下の、化粧をしても隠し切れていない濃い隈。目は死んだように淀んでおり、口許はだらしなく締まりがない。過食と拒食を繰り返しているせいで、頬の皮膚が弛み、二重顎になっている。
これが私の顔だなど、酷い侮辱だと思った。
「貴様は誰だ」
鏡の中の顔はたちどころに人相を変えた。目は吊り上り、激しい怒りと残忍さが光る。背後で見えざる力が蠢き、心を支えるのを感じた。鏡の中で女が歯を剥く。
トイレの入り口に人が立った。
「佐々木さぁん、治ったのー?」
その人間は、振り向いて自分を睨みつける女の形相の凄まじさにたじろいだ。
「何だ、貴様」
女は言った。
「誰に向かって口をきいている!」
女の激しい気性に火がついた。トイレから飛び出し、拳を振り上げる女の前で、内藤よし美は立ち尽くすよりほかなかった。内藤よし美は容赦ない殴打を左目に受け、声も出さず倒れた。女は内藤よし美に馬乗りに跨ると、続けて二度、三度と顔面を殴った。
「その口のきき方は何だ」
女は手を止め、絶句する内藤よし美に顔を寄せた。
「私を誰だと思っている! 無礼であろう!」
「さ、ささ、ささ、ささきさん……」
「何だと?」髪を鷲掴みにし、「私はそのような者ではない!」
すると、内藤よし美は思いもしない力強さで、女の胸を突いた。一瞬、力が抜けた隙を衝いて、体の下から這い出た。
「助けて!」
叫ぶ内藤よし美を追いかけて、その腹を蹴った。
「助けて! 誰か!」
金切り声が廊下に響き、コールセンターの扉が開いた。女はまたも内藤よし美を体の下に組み敷いて、髪を掴み、顔面をリノリウムの
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