王の荒野の王国――木相におけるセルセト――
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死者は思った。
「私は誰だ?」
この石なら、答えを持っているかもしれぬ。そう思えた。
「私は誰だ」
「答えが欲しいか!」
太い声が頭中で響いた。死者は覚醒する。瑠璃の魔力はたちまち遠のいた。威厳ある、ニブレットにとってこの上なく甘美な声であった。乾いた夜の底で、死者は体を起こした。そして、腕に抱く漆黒の剣を、手探りで鞘から抜いた。声の出所は疑いようもなかった。漆黒の剣から緋の色彩が滲み出る。死者は剣を地に置き、傅いた。
「我が神よ」
「汝に問う。汝は有能なる我が崇拝者ニブレットか」
死者は返答に困った。ヘブを前にした今、それを崇める自分は確かにニブレットであると思われた。
問いを肯定しようとした。すると、胸にヘブを拒否する声なき声と、ぞよめく紫紺の魔力を感じた。
「緋の界にまします我が神よ、敬虔なるニブレットは王の荒野にて損なわれました」
「わかっておる」
ヘブは腹に響く声で笑った。死者はその笑いを悲しく感じた。和らげられた惨めさや無様さが、またも胸を満たして堪らない気持ちにさせた。
「私は何者でございましょうか。私はニブレットであり、サルディーヤであり、二人の人間の記憶を持ち、女であり、男であり、腐術と分魂術によって今ここに生かされております。この私を定義する名がこの世にございましょうか」
「魂の名は一つだ」
緋の色彩の揺らぎにヘブの姿が見えぬかと死者は目を凝らすが、意味ある象は現れなかった。
「お前の魂は古い。世界が無数の相に分かたれる前の階層から来ておる。お前の魂の来歴には様々な名が記されておる。ニブレットであれ、サルディーヤであれ、今更そのような違いに何の差がある」
「されど、我が神よ、自我には名が必要です」
人間とは悲しいものだ。自我とは。死者は思う。
「私は己が何者かを知る事を望みます。答えをお与えください。あるいはその機会を」
「たとえ前階層まで遡り、今生のお前の現在まで辿り直すとしても、望む答えを得られるとは限らん」
「構いません。答えがなくとも、何らかの示唆があるならば」
「よかろう」
ヘブは渋い声で応じた。
「ただし、この後起きる事によって、お前の混迷が更に深まる事にならん保証もまた無いぞ」
漆黒の剣から立ち上る色彩が炎の象をとり、その揺らめきに意識が引きこまれるのを感じた。魂が自我に引きずられて肉体から外れた。炎を中心に世界が歪み、渦巻く歪曲の奥底へと、魂は一つ一つの名と記憶と洗われながら、落ちていった。
不意に鋭い光を認識した。
同時に、形容しがたい甲高い騒音が、耳から脳を刺した。
耐えがたいほどの人の声と雑念と蒸し暑さが肉体を包みこむ。
「危ない!」
後ろから肩を引かれた。巨大な物体が、眼前を通り過ぎていった。
目と耳と肌を刺
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