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小さな約束
小さな約束
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て見ろ、というように閣下はパジャマの襟元を引っ張った。
 一番上のボタンが僕のつけたものだ。何時間か前のことだから覚えている。その一つ下のボタンを見て、僕はあっと小さな声をあげた。
「フロイラインには礼を言っておいた。私は自分でできるから、とも言ったのだがな」
「はい、僕も閣下がお出来になるのは知っておりました」
 僕の言葉を聞いた閣下がにやりとした笑みを見せる。初めて見る子供のような顔だった。
「私がお前の仕業だと気づいたようにな」
 そう言ってから人差し指を立て、唇に押し当てた。
「フロイライン・マリーンドルフには秘密にしておこう。男の約束だ」
「はい、もちろん約束は守ります」
 同じように僕も片手に盆を持ったまま、人差し指を唇に当てる。
「これで閣下との約束が二つになりました」
「二つ? まだ何かあったか?」
「はい、軍医の資格を取り、閣下の主治医になることです」
 その時の僕の声は弾み、頬は喜びに紅潮していただろう。
「ああ、そうだったな。私がお前に頼んだことだ。楽しみに待っている」
 僕は盆を小脇に抱えたまま敬礼をした。それはきっと奇妙な格好だったに違いない。
 閣下は苦笑しながらもそれに応えた下さった。


 あの時の約束を私は一つは守り、一つは守れなかった。私の生涯でただ一つ悔いが残るとすれば、そのことだろう。
 私が医者になるまで、陛下は待っていては下さらなかった。あまりにも早く、きらめく光のごとく駆け抜けるようにこの世を去ってしまわれた。
 お二人が結婚され、その後も私は変わらずおそばにお仕えし続けた。
 ボタンの秘密をもちろん私は誰にも漏らすことはなかったし、皇太后自身に告げることもしなかった。
 私は今でもシャツのボタンが取れた時には自分でつけ直す。つけながらあの時のことを思い出す。忘れない為にそうしているのかも知れない。
 初めて入った女性の部屋───自分でも意識したことはなかったが、憧れの女性の部屋だったのだ、あそこは。だからあんなにもドキドキしたのだろう。
 陛下がすぐに私の仕業だと見破ってしまったのには理由があった。
 幼年学校に入学するまで、自分でボタン付けができる生徒など滅多にいない。皆、入学してから覚えるのだ。
 そしてその時に先輩から後輩へと伝えられるのは、見栄えよりも強度を重視した方法で、四つ穴ボタンの場合、その差は歴然と見た目に現れる。
 他のボタンはこれまで取れたことはなかったのだろう。仕立て屋がつけたそれと、幼年学校で伝授された私がつけたそれは、明らかに異なっており、見る者が見ればつまりはある意味での署名がされているのと同じだ。
 これは、幼年学校を出た者がした仕事である、と。
 今でも私のつけた
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