死の谷―発相におけるネメス―
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かれた扉が閉じる。
どうして。
リディウは手を伸ばす。これまでの生贄達が皆、そうして来たように。
果てない闇へと落ちていきながら、リディウは最後の涙を流した。涙は二度と、光らなかった。
舞台から転落した憐れな役者・リディウの亡骸を、冴え冴えとした目でミューモットは見下ろした。ナイフを拭う彼の姿を、月だけが照らしていた。
※
翌日、ネメスの神官達が兵士に守られて来た。神官達は大聖堂図書館の内部をくまなく調べ、リディウの不在を確かめた。舞台の土が吸った彼女の血には、誰一人気が付かなかった。リディウは生贄の役を全うしたのだろうと、神官たちは判断した。これで暫くは、ネメスの都から生贄が出る事はあるまい。彼らは疲れた顔で帰っていった。
翌年の夏至の晩、ネメスの巫女は凶つ星の託宣を受けた。かくて新たな生贄の娘が、ネメスの下町から選ばれた。
神官たちは首を傾げた。
では、リディウはどこへ?
新月の晩であった。風はなく、昼の熱気がいつまでも消え残る、寝苦しい夜であった。バルドーとエテルマの夫妻は、互いに背を向け、眠ったふりをして夜を過ごしていた。
誰かが足を引きずって、通りをやって来る。胸に不吉な予感が満ち、夫妻はどちらともなく身を起こした。
果たして足音は、二人の家の前で立ち止まった。その誰かはゆっくりと戸を叩いた。
バルドーが誰何するより早く、エテルマが戸を開け放った。噎せ返る死の臭いが玄関口に満ちた。
訪問者を目にしてエテルマは悲鳴を上げた。
喉をかき切られ、崖から突き落とされた死者の、あちこち砕け折れ曲がった姿のおぞましさに悲鳴を上げたのではない。水分を失って、皺だらけの、土気色になり、眼球を失ったその顔貌に悲鳴を上げたのではない。筋肉が委縮して小さくなり、破れたドレスからあばら骨を露出させた体に悲鳴を上げたのではない。
彼女はその死者の正体を誰より早く悟り、その残酷さに悲鳴を上げた。血で黒く汚れた金色の髪と、それでもまだ、何らかの絆の証のように首に下げられた首飾りの悲しさに悲鳴を上げた。
泣き崩れる妻の手を引き、バルドーは裏口から家を出た。そして、悲鳴を聞きつけて出てきた隣人に、神官を呼ぶよう頼んだ。
バルドーはカンテラの明かりを頼りに、エテルマを下町の小さな広場に連れて行き、無言で肩を抱いた。駆けつけた神官と腐術師が、自分達の家に入っていく物音を聞いても、じっとして動かなかった。
やがて静寂が戻ると、バルドーはエテルマの耳に囁いた。
「あれは、あの子であってあの子ではない」
エテルマは泣くばかりで、返事をしなかった。
「あの子の魂は既に神のもとに召されたのだ。亡骸は、腐術師と神官が懇ろに慰めてくれる。きっとそうだ。エテルマ、そうに違いないよ――」
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