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Lirica(リリカ)
死の谷―発相におけるネメス―
―3―
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拭きながら、声をあげて泣き始めた。膝はがくがくと震え、今にも砂の上に座りこみ、立ち上がれなくなりそうだった。
 これまでの生贄達は何と勇敢だったのだろうとリディウは考えた。こんなに情けない私が、神のお気に召す筈がない――そして私は生き延びて、朝を迎え――逃げる。この人に逃がしてもらえる。そんな明日が必ず来ると信じよう。
 リディウは左手に二本の蝋燭を握りしめ、右手でミューモットの肘を掴んで、嗚咽を殺しながら一歩ずつ前に進んだ。闇に満たされた建物内部を、ミューモットの魔術の炎が照らした。南棟テラスから石階段を下り、森の小径を進む。その道行きは昼間とは全く違う貌(かお)を見せていた。風は涼しいどころか切るように冷たく、夜行性の鳥の鳴き声が禍々しく響いている。
 階段状の客席の天辺で、ミューモットが足を止めた。
「ここからは一人で行け」
「ミューモットさん」
「この舞台と客席は陣を成している。部外者の俺が足を踏み入れるわけにはいかん。お前が行くんだ、生贄」
「では、ここにいてください」
「構わん」
 ミューモットは溜め息とともに頷いた。
「くれぐれも、途中で帰ってしまったりなど、なさらないでくださいね」
「わかっているから、行け」
 リディウは何度も振り向きながら、客席の間の通路を下りていった。舞台の両脇の蝋燭台に蝋燭を刺し、火打ち石を打った。今、頭上に死の星ネメスが輝いているかなど、恐ろしくて確かめる事はできなかった。
 二本の太い蝋燭も、広い舞台を照らすにはあまりにも心許なかった。リディウは二つの光の輪が及ばず消える、舞台の中央の暗がりに立った。
 呼吸は乱れ、腕は上がらず、膝は震えが止まらない。無理だと、リディウは思った。昼のようには踊れない。指を揃え、硬直した右腕を頭上に上げ、一本の棒のように立った。
 舞わなければならない。その為に生きてきた。
 死の女神ネメスは、神々に対する人間の不敬に憤り、数多(あまた)の町を滅ぼした。ネメスの舞はその故事を語り継ぐべくある。
 第一の舞をぎこちなく開始したリディウは、間もなく足をもつれさせて転倒した。ざわめく森、突如飛び立つ鳥の羽音が、無様な舞い手に対する神の怒りの声に思え、倒れたまま硬直した。
 顔を上げた。舞台の両端の二つの蝋燭以外、何も見えない。
「ミューモットさん?」
 リディウは恐慌に駆られ、呼んだ。
「ミューモットさん!」
「ここにいる」
 返ってきた声に安堵し、舞台に蹲り、恐怖が和らぐのを待った。一人ではない、見捨てられてはいない、と、胸で唱えながら立ち上がった。目尻を拭い、もう一度、舞の開始の合図として、右手をまっすぐ上げた。
 リディウは目を閉じて、改めて舞い始めた。体のぎこちなさについても、乱れた呼吸についても、考えまいとした。夜の森に光る動物達の
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