死の谷―発相におけるネメス―
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た。部屋の壁には、断崖に通じるあの戸はなく、同じ位置に丸い鏡が取りつけられていた。
巫女が椅子を引き、立ち上がった。こちらを向くと、その顔には大小の皺が刻まれていた。老いている。
「これを」
巫女は糸で綴じられた紙束を少年に差し出した。巫女の手は震えていた。次の句を継ぐまでに、しばしの間を要した。
「これをタイタスの王のもとへ」
紙束の表紙に午後の光が当たり、白く輝いた。表題が端正な文字で綴られていた。
『我らあてどなく死者の国を』
「道中、ゆめゆめ盗み見ることのなきよう」
「しかと承りました」
「酌人」
力んだ動作で立ち去ろうとする少年を、巫女は呼び止めた。
「はい」
「筆を走らせている間、私は怖いものを見た」
「何でございましょうか」
「滅びだ。永劫に続く最期の一日、空に厚い雲がちぎれ浮き、高らかに喇叭(ラッパ)が響く。病みし太陽は狂ったように照りつけ、海は干上がり、草木は枯れ、大地は千々に引き裂かれ、死を失った人間が、痩せこけて徘徊する」
「それは、どの相の光景でございましょうか」
「どの相でもない。地球全てだ。前階層の地球だ」
色を失い立ち尽くしている少年に、行きなさい、と巫女は言い、背を向けた。少年は挨拶も手短かに、早々に退室した。
その後巫女は、長い間机に手をついて、窓に顔を向けていた。しかしその目はきらめく緑もささやく陽光も見えていない様子だった。
巫女は思いつめた様子で鏡の前に立った。そして、何かを読み取らんとするように曇りない鏡を凝視し、そこに映るリディウを見つけた。
「何者ぞ!」
リディウは星図の間を飛び出した。回廊を渡り、走る。エントランスから外に出た。
そこに白い砂はない。緑薫る大草原が大聖堂図書館の外に広がっていた。リディウは草に躓き、倒れた。そのまま仰向けに転がって、空を仰いだ。
数えきれない雲の塊が凄まじい勢いで流れていく。見えない人、透明な人、その気配がせかせかと、早すぎる時の流れの中を行き来する。
「死者の国よ」
リディウはしかと目を見開く。
「死者の国よ!」
その目に星図の間が映る。
「神々の力を借りてまで、人と人は争わねばならない」
灰色の髪の巫女が頭を抱えている。巫女の前で、花瓶に挿された花が急速にしおれ、枯れる。
草原で花を摘む少女は、雲が流れてゆく下で、高らかに響く喇叭の音を聞く。少女の手の中で、全ての花が枯れる。
喇叭の音を聞いた農夫は、空に顔を向ける。厚い雲が南から押し寄せてくる。彼が手掛ける果樹は急に枯れ、果実も腐る。
風が、世界中に喇叭の音を運んだ。世界中の花が枯れ、麦が枯れた。木が枯れ、土が痩せた。水が、木を失った山から村に押し寄せて、濁流の中に呑んだ。道端に餓死者が積まれ、ネズミが走り回った。
リディウは
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