死の谷―発相におけるネメス―
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から遠ざかった。
リディウの世話役の老いた女神官は、これを最後に辞職を願い出ようと決意を新たにしていた。彼女が世話役を務めた生贄は、リディウで三人目だった。それはつまり、この腕で抱き、この手で乳を飲ませ、おしめを替え、言葉を教え、我が子同然に育てた少女を失うのが三人目であるという事だ。悲しみの涙は遅れて来る事を彼女は知っている。後悔と手遅れの愛しさが来るのは、二度と手に入らぬものを失った自覚が来るのは、眠れぬ夜と起き上がれぬ朝と無気力な昼が繰り返されるのは、それが損なわれて幾日も経ってからである事を知っている。悲しみには耐性がつくであろうと若き日には思っていた。しかし実際には、悲しみは心を疲弊させただけであり、これ以上の忍耐はもう難しかった。
ネメスを出て二日目、一行は深い谷を睥睨して建つネメスの大聖堂図書館にたどり着いた。
リディウの知識によれば、図書館には物質としての書物が集められているわけではない。大聖堂図書館そのものが魔術の体系の体現であり、それを読み解く事ができるのは高位の魔術師だけある。
そして、水相を没落せしめた歌劇の執筆が行われたのも、どことも知れぬ歌劇場へと繋がる渉相術が執り行われたのも、この大聖堂図書館だ。
歌劇場。
それが、どの相にあるものなのか――そして、どの相には無いと言えるのか?――は、誰にもわからない。地球上のどの相、どの時代の階層にも存在しないのかもしれない。
リディウはそこに行かなければならない。
存在から非存在へ。
大聖堂図書館の門をくぐり、白い砂が敷き詰められた前庭で、馬車は馬から離された。馬車の固定が終わると、木人形が外に出て、小さな水筒を手に戻って来た。空は薄紫に暮れ、木人形が持つ白い陶器のティーカップが僅かな光を集めていた。ティーカップに水筒の中身が注がれた。リディウは要求されるまま、それを飲んだ。水筒の中身は眠り薬入りの茶であると、事前に聞かされている。それは生贄に対する慈悲の一つだった。リディウはヴェールをかぶり直して、目を閉じ、眠りの到来を待つ。
神官や兵士たちが撤収を開始している。
彼らは明後日の昼に、もう一度ここに来る。リディウの不在を確かめに来るのだ。大丈夫……うまくいくに決まっている……リディウは眠りに落ちるまで、何度も自分に言い聞かせた。
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