漂流民―水相におけるイグニスからネメス―
―3―
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ることができなかった。
乗客たちが船員の指示に従い、救難艇に詰めこまれてゆく。
ウラルタと老女は最後の救難艇に乗り、大時化の中に放り出された。
「死ぬ」とウラルタはまた思った。上からは激しく雨が降り、横からは波が襲ってくる。隣の人にしがみついた。その人が男か女か、若いか老いているか、何も見えなくてわからない。反対側の隣の人もまた、ウラルタにしがみついていた。それもまた、どういう人間なのか、確かめる気にはなれなかった。一人だけ乗りこんでいるはずの船員がどうしているかは全くわからない。ウラルタは激しい揺れと吐き気に耐えながら、意外にも恐怖はなく、あるのは倦怠感ばかりで、ただ乾いた服に着替えて眠りたいと、それだけ思っていた。
眠るという点に関してのみ、願いは叶った様子だった。あるいは長い間放心していたのかもしれない。誰かに肩を借りて固い床の上を歩いた記憶がある。
我にかえった時、ウラルタは屋根がある建物の床に寝かされていた。ただ一つの正方形の小さな窓は夕闇に染まっている。雨はもう降っていない。
ごく狭い部屋だとわかってくる。隣にあの老女が寝かされていて、その二人分のスペースで部屋はいっぱいだった。ここは、どこかの海堡の内部らしい。
小さな机の上に古い海図とペンが散らばり、引き出しの中に工具箱があった。
ウラルタは錆びたペンチを見つけ、それを手に取って見つめた後、手首に通された護送票をまじまじと見つめた。
次いで、老女の護送票の行き先を読んだ。
「タイタス」
悪くない。
「……タイタス」
ウラルタはすぐに肚を決めた。容赦なく海水を浴び続けた老いた女の体は冷たい。間もなく死ぬだろう。彼女と口を利かなくて良かったと、ウラルタは妙な救いを感じた。彼女の人生の何一つ、背負わなくて良かった。何故タイタスの町から逃げたか、どこに行き、何を目指していたのか、聞かなくて良かった。
護送票を取り替えた後、救助の船が来るまで、ウラルタは老女に背を向けて、じっと膝を抱えていた。
やがて汽笛が、遠くから、海堡に近付いて来た。
私は何故、旅に出たのだろう。
救助船の甲板で、ウラルタは波のうねりの中に答えを探している。私は、イグニスで決まりきった毎日を死ぬまで繰り返す事を拒んだ。信じてもいない教条を、さも信じているかのように振る舞うことを拒んだ。そうしなければ生活していけない事実を拒んだ。
では、何も信じない為に旅に出たのだろうか。つまり、孤独で居続けるために?
一人でこの世に落ちてきて、一人で死へ落ちてゆく為に? 落ちゆく先を――せめて――死に場所を決めるために?
遠くで、厚い雲が一か所割れた。周囲の雲が火のごとき色彩にそまり、太い光の束が、黒くうねる海目がけて落ちてくる。
この星の、遅すぎる自転の、長すぎ
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