コヨミフェイル
001
[2/4]
[1]次 [9]前 最後 最初 [2]次話
因果関係にあるというだけだろう。まあ、間違ったからと言って不利益になるというわけでもない。失敗は成功のもと、失敗は成功の母とも言うように。
では、しなければならなかったことと異なることをしたということか。
これもまた違う。
なぜならこの時こうしておけばよかったと思うことなんて行動に移した後に気付くものであって、その時に気付くものでないし、実際こうしておけばよかったと思う選択をしていて間違えていない保証もない。更に言えば、これは人生の岐路が数学の問題宜しく、これは正解、これは間違いと白黒はっきりしている限りにおいてのみ成立する話であって、その選択が正しかったなんて明確にわかることなんてほとんどない。だから、それは本当に間違っているのかという疑問も抱かざるを得ない。もしかしたらこうしておけばよかったと思ったことを実行に移したことでより不利益なことが生じていたかもしれない。
では他の候補を――と言いたいところだが、僕は間違いという言葉にこれくらいのことしか僕には思い浮かばない。
他の人ならもっと尤もらしい解答を述べられるのだろうが、これが僕の精一杯だ。偏差値四十五――十の位で四捨五入されれば偏差値0の男子高校生の実力で全力だ。
だからと言って、ここで手法を変えて図書館に行って虱潰しに調べても面白くなかろう。僕が図書館へ行き、どれだけの辞書をどれだけの時間調べて、どのような結論に至ったかについてなど誰も聞きたくないだろうし、ぶっちゃければ僕もしたくない。ただの怠慢だと言われれば、なろほどそうかもしれないが、辞書を虱潰しに調べるのと、自分の頭で考えるのとでは必要とされる忍耐や努力が比べるまでもなく違うと僕は思うのだ。
勿論自分の頭で考えることの方が大変だということだ。
調べることも、要領よくしたいのならば、精神労働を多少含むが、もっぱら肉体労働だろう。辞書を引っ張り出してきて、一心不乱にページをめくって、書いてあることを書き上げるだけのことだ。しかし、考えることは徹頭徹尾精神労働なのだ。二つの間にある差異はじっとしているか、否かという点である。運動をしていれば気を紛らわせることはできるが、じっと考えることには遊びがない。つまり、真の忍耐を試されるのだ。これ以上に苦しいことはない――と、理路整然と、真しやかに、詭弁を弄したところで、僕の数少ない知り合い、友達に訊けばどのような返答がなされるのか想像して参考にしてみる。これも自分で考えていることに含まれるだろう。
ある軽薄なアロハの中年に訊けば、
「自分で考えたら、阿良々木くん」
と、言うだろうし、異形の翼を持った生徒会長の同級生に訊けば、
「正解への道」
と、真面目に答えそうだ。
元無表情毒舌暴虐無人の現デレデレ彼女に訊けば、
「こよこよはそんなことは考えなくて
[1]次 [9]前 最後 最初 [2]次話
※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりを挿む
[7]小説案内ページ
[0]目次に戻る
TOPに戻る
暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ
2024 肥前のポチ