偏に、彼に祝福を。
第一章
三話 違和感
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葉に頷く。そうだ、彼女たちに対する嘘はその程度だ。
「じゃあ気づいたか。オーブンはない。新聞もない。湯船を張ったのは最後はいつだ? 箪笥の手元に着いた汚れは? 日常生活を営むのであるのであれば行われる―――」
「何が言いたいんです麗さん」
その言葉は、水本の声にしては張りつめていた。
「簡単だよ。プロデューサーはね、可笑しな人だと自覚して貰い、また矯正して貰いたい。君たちが慕うプロデューサーは、無趣味で自己というものがなく、恐らくはきっとアイドルの事しか見えてない」
水本は目を細めた。私は唯黙ったまま。この状況は私を中心に、私以外によって繰り広げられている。
「プロデューサー、趣味は」
「……ネットサーフィンかな」
悪い嘘だ。仕事中にしていないことは明白だし、家に帰ってやっているとは先程のPCに関する嘘があるから良くない。
「アイドルの内好きな曲は」
「……みんな好きかな」
「好みの女性は? アイドルで答えてくれ」
「……」
「好きな料理は?」
「……」
水本を見る。彼女は好みの女性だろうか? 分からない。今までそんなことを考えたことすらなかった。彼女はアイドルだ。それ以下でもそれ以上でもない。
「分かった。分かった。降参だ。この事は他の奴らには言わないでくれよ」
「勿論そのつもりだ。何、これから君にやってもらいたいことも簡単だ。趣味とか嗜好とか、そういうものを持ってくれればいい」
そのために美世を差し向けたのだからと続けられれば、観念するしかなかった。
「すいませんプロデューサー。トレーナーさん達に話をしたのは私です。プロデューサーを見ていると時々、まるで人形みたいだと思うことがあって……」
水本の謝罪に引っかかりを覚える。人形という言い回し。例えセンスがあったとしても彼女一人で結論付け動いたわけではあるまい。
「泰葉も噛んでいるのか」
水本は頷いた。私はこの時点で完全な敗北を期した。
一週間の後、私は土曜の朝六時半に事務所に着いた。鍵を開け中に入る。暗い部屋が私を出迎えた。いつも通りだ。すぐに自身のデスクについてPCを立ち上げる。
三十分程でひと段落ついたので、僅かな間目を閉じた。今日は酷く眠い……。
微睡の中、ある旋律が聞こえた。ゆったりとした調子の曲。曲名は知っている。懐かしい。これは……
顔を上げた。どうやら寝てしまっていたらしい。時刻は午前八時。一時間ほど眠っていたのか。周りを見回しても自分以外の人間はいない。どうやらこの醜態を誰にも見られなかったらしい。
その後三十分程で今日の朝から用事がある面子が集まったので業務は本格化した。その頃にはすっかり朝の夢など忘れて。
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