第6話 回転木馬ノ永イ夢想(後編)
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鰯の群が泳いで、下り坂に光と影を散らす。
『忘れもしない三月十一日の、小雪がちらつく日で、ようやく揺れが消えた後に、今度は深い水が来たの』
坂を下りたところで、白い木馬が待っていた。木馬の胴を貫く真鍮の持ち手は、遙か遠い海面まで伸び、あさがおを誘うように、その場で上下している。
大人になった体を遠慮がちに木馬の背に乗せると、木馬は重さなど苦にせずに、道を先に進み始める。
『深い水は、私が高台の公園から見下ろしている間に、家をさらい、車をさらい、人をさらいました。そうして誰も帰さずに、海に戻ったのです』
左右の家々には、人の姿が見える。その窓に、その庭に、老夫婦が、若い夫婦と赤子が、自転車を漕いで遊びに行く近所の子供たちが見える。
みんな、ここにいたんだ。だから見えなかったんだ。探したのに。どこに行ったんだろうって思ってた。
犬を連れた主婦が、ニコリとして会釈をする。あさがおも同じように会釈をした。木馬が進む道は次第に幅が広くなり、見覚えのある気がしてくる。
角を曲がり、突然、知っている精神病院が現れた。
タクシー乗り場を横切り、木馬は正面玄関の前で動かなくなる。
正面玄関のガラスはあさがおのために左右に開き、エントランスには記憶通りのブロンズ像が立ちはだかっている。
〈女像〉
その素気ない名をもつ像は、ワンピースを風になびかせて、遠くを見て立つ硬い表情の女。彼女の足下を覆うのは茨。そこかしこから人の腕が突き出ている。制作者が何を意図して作ったかわからない。頭がおかしかったのだろう。あさがおは病室を探した。七階だったのは覚えている。しかし東西南北にわかれた四角い建物の、どの七階だった?
すべての七階の、すべての部屋をまわる。南棟。東棟。北棟。どれも同じような部屋で、同じような狂気を閉じこめ、同じように荒廃した。けれどあさがおはついに西棟で、その部屋を見つける。
ドアノブに触れた瞬間から、ここだと確信した。過去と今とが、この体にぴたりと重なるのを感じた。
ベッドに女がいた。
実年齢よりもはるかに老いた女。灰色の髪になった女。皺だらけの女。置き引きをした女。精神病院の前で泣き叫んでいた女。私を遊園地に連れていってくれた女。私の手を切り裂いた女。私が病院に連れて行かれる時、死にものぐるいで私を取り返そうとした女。
水の中の夕日を浴び、すべての狂気から洗い出されて、その女が老いた慈愛の笑みをくれる。
あさがおは手を伸ばし、病室の母に駆け寄ろうとした。足が浮き、水の中で体が横倒しになり、
「お母さん!」
開いた口から肺に潮が満ちる。
※
あさがお、おかあさんはあくとたたかうためにひつようなどうぐをあつめます。ここにかかれているものをおくってください。
タオル
すいとう
けしご
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