第6話 回転木馬ノ永イ夢想(後編)
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違法で悪辣な迷惑行為を棚に上げて、悪影響とはよく言ったものです。あさがお、深い水が来て、連中の悪を洗い流すことを私は予言します。あさがお、私が子供の頃には深い水が来て、私の町をさらいました。あの水が、あの時私をさらい損ねたから、今度はきっと私を逃がさぬようまた来るのです。あさがお。深い水の中に、私の古い家があります。青く沈んだ家に、あなたの庭があります。あさがお、そこでキジトラの猫を飼いましょう。あの猫は死んでしまったとお前は書いていたけれど、お母さんはその猫は深い水の中にいるのだと思っています。
※
陽だまりが温めた路面を、ほくほくと肉球で踏んで、その大柄なキジトラ猫が遠くから来る。その光景を、あさがおの脳は捕らえる。見えるはずのない野外、生きているはずのない存在、それが歩く場面を一枚の風景として、彼女は捕らえる。
あさがおは仏間で正座をしている。
来る。
母親からの手紙を握り潰した。
「おねえちゃんねぇちゃん」
甘い、子供のような声が、玄関の外から呼んだ。廊下に出た。冷たい板張りを急ぎ、三和土のサンダルに足を引っかけて、すりガラスの引き戸を開くと、緑色の目と視線があう。
人間と同じ大きさの、二足歩行のキジトラ。細い毛を午後の陽にきらめかせて、人間の兵隊の格好をし、
「おねえちゃんねぇちゃん」
しゃべると上唇から生えるひげが、そよそよと揺れ動く。
「キジトラは丈夫いから」ヘルメットを脱ぎもせずに、「戦争に行っていいの」
あさがおは心臓が締め付けられる気がして、目を歪めた。キジトラの無邪気な目が、たまらなく悲しかった。
「戦争に行っていいわけないでしょ」
手を伸ばすと、その頬を覆う毛に触れることもかなわず、キジトラは消えてしまい、あとに陽だまりが残った。
「キジトラ?」
玄関には猫の毛一本残されていない。
「キジトラ」
それだからあさがおは、キジトラを探してさまようことになる。
「キジトラ、おいで」
坂の上へ。短い間、確かに飼い猫だったその猫を拾った場所へ。
「キジトラ」
けがをしていたから。長く生きられなかったから。
「戦争に行かなくていいのよ」
ああ、だから、この先に行ったのね。
坂を上りきって、あさがおは納得した。
坂の向こうは海だった。太陽光を照り返してあさがおの目を灼きながら、爪先に迫る。道は下り坂となって、海の中に続いていた。あさがおは足首を浸す。膝を浸す。腰を浸す。
『お母さんが子供の頃』
腹を浸す。胸を浸す。
『大きな地震がきたの』
長い髪が海面に円く広がる。首を浸す。鼻を浸す。
『いつまでも揺れが続き』
海の中は明るく、太陽によってぬるめられ、温かい。
『永遠と思えるほど、長い時が経った』
頭上を海面が、遠ざかる、遠ざかる、
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