禁酒令
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うっすらと結露するグラスを眺めて、作りものの双眸を瞼で隠した。時は新帝国暦3年4月深夜、所は新領土(ノイエ・ラント)総督府のあるホテル・ユーフォニアの一室。軍務尚書パウル・フォン・オーベルシュタインは、宛がわれたホテルの一室で空のグラスに深紅の液体を注いでいた。疲労ゆえか、慣れぬ環境からくるストレスゆえか、執務中よりも更に険しく歪んだ表情筋を緩めることができずにいる。高価な革張りのソファも、安らぎを届けるはずのアロマさえも、彼を夢の国へは誘ってくれなかった。青白く痩せた手を、ゆっくりとグラスへ伸ばしたが、それはおよそ控えめとは言い難いノックの音で遮られた。
「閣下、フェルナーです。失礼いたします」
オートロックのはずの扉を容易く突破して、端正な顔を持つ図々しい青年将校は彼の目の前に現れた。何かあった時のためにと、護衛隊長にはマスターキーを預けてあるものの、この部下に与えたつもりはないのだが。
「何の用だ」
胡乱げな瞳で見上げた時には、伸ばしかけた手をもう片方の手が抑え込んでいた。今更この手を隠したところで、何の意味もないと分かっていながら、反射的に動いてしまっていた。癖の強い銀髪の部下が、ふふりと笑う。
「閣下、そんなものより、こちらのほうがずっと美味いですよ」
後ろで組んでいるのだとばかり思っていた手から、帝国本土産の高級ワインと重そうな紙袋が現れる。一瞬開きかけた口の形を変えて、オーベルシュタインはことさら鋭い眼光でフェルナーを睨みつけた。
「卿は私の名で禁酒令が出ていることを知らぬのか」
しかしこの部下には誤魔化しがきかなかったようで、相も変わらず人の悪い笑みを浮かべている。
「ああ、そうでしたな。ではそのグラスの中身も当然、ぶどうジュースというわけですな」
オーベルシュタインはあえなく屈服して、部下へ手元のグラスを差し出した。フェルナーは受け取ったグラスの中身をさっさと飲み干してしまうと、棚から新しいグラスを取り出して、上官の前へ置いた。
「安い酒を飲みすぎるのは、お身体に毒ですよ」
そう言って持参したワインを2つのグラスへと注ぎ込む部下を、オーベルシュタインは心なしか虚ろな表情で眺めていた。肉の薄い唇が無意識に噛みしめられている。確かに体温のある人間のはずであるが、こけた頬は蝋細工のようなそれにさえ見えた。
「どうぞ」
差し出されたグラスを反射的に受け取った手は、しかしその場所から動こうとしなかった。部下は何も言わずに、普段とは様子の違う上官の仕草を眺めている。流れる血が赤いのか疑いたくなるほど青白い手だが、細い指の先まで荒れた様子ひとつなく滑らかであった。フェルナーは急かすことなく、自分も横のソファに腰を下ろすと、上官に倣ってグラスを手に取った。
「……」
グラスを顔の辺りまで掲げて、オ
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