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Muv-Luv Alternative 士魂の征く道
彼は誰時
序章
00話 黄泉路
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 子供のころ、正義の味方に憧れた。
 子供向けの番組に、童話に登場する英雄の姿。身を挺し、傷つきながらも信念を貫き、大切な人を守らんとするその姿に憧れた。

 自分もいつか、彼らのように全身全霊をとして大切だと思えるモノのために戦いたいと願った。
 何てことはない、子供が憧れて良く見る夢だ。
 そして、大人になるにつれ、人はその正義の味方となるために必要な正義の意味を自問自答し始めるのだ。

 何が正義で、その反対とは何なのか。
 その過程で人は大きく三つのタイプに分かれる。
 絶対、虚無、相対。

 絶対的正義を信じる人間は、正義は至高に輝くただ一つのものと信じて疑わずそれを他者と共有していると信じ、それを否定する人間を悪と断ずる。

 虚無的正義を信じる人間は、正義とは何処にも存在せず。誰かが作った建前の名だと悟り。正義を語る人間を嫌悪する。

 相対的正義を信じる人間は、その中間に位置する人間だ。正義とは何かを問い続けた人間が至る思想だ。
 正義とは普遍的でも絶対的でも虚無的でもないと悟り、正義とは個々に存在し、それぞれの重きに置くもの、立場によって万様に変わりゆく、一つとして同じ正義など存在しないという結論に到達する。

 この決定的に正義の見方が異なる三者がまっとうな会話を成立させることは不可能だ。
 そもそも見えている世界が違うのだ。
 絶対的正義者は相対的正義者に対し、自分の正義に似通った正義を持ち上げてそれが正義だという。
 虚無的正義者は正義の裏にある利害関係のみを持ち上げ、正義なんぞ存在しないと口にする。

 相対的正義者の言葉はこの二者には届かない。正義があるかないか、正義か悪かの二元論を語る人間にはそれ以外のモノは目に入らないのだ。

 絶対的正義論者が良く持ち出す例えをしよう。
 ある極東の島国で貧困に喘いだ国家が、隣国の裕福な国家を侵略し支配下に置いた。これを支配を受けた現地住民に悪かと問う。

 原住民は当然悪と答える。
 これに関しては原住民が絶対・虚無・相対の何れであっても悪と答える。

 それを以て逆説的に正義は存在すると論破した気になるのが絶対主義者だ。
 虚無主義はそもそも正義なんて存在しないと答えるため、悪としか言わない。
 相対的正義者も原住民からすれば悪と答える。

 しかし、この例えはそもそも間違いだらけである。
 正義の対義語を悪とする時点で間違いだが、そも視点から間違っているのだ。貧しい国の住民からの視点が欠けている、客観的な視点も無い。
 一方的な見方、一方的な正義感の押し付け。それをエゴと呼ぶ。

 この例えで正義の所在を問うのなら最低限、当事者ではなく全く無関係の第三者でなくてはならない。

 けれども、完全全くの第三者
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