第30話 フェザーンの夜
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を振り向いたり、急に角を曲がったりしながら、小さな路地裏へと足を踏み入れた。
その路地裏は、裏通りという割にはそれほど汚れているわけでもなく(もともとフェザーンは清潔な街だが)、七割の整然と三割の雑然とが絶妙に混ざった、言うなれば『良い感じに退廃的な』飲食街だった。街の飾り付けはやや帝国風を思わせる擬似木材と石材のコントラスト。照明も前世でいうクラシカルなデザインで統一されている。その街中を若い女性の滑らかで張りのある歌声が、大きくもなく小さくもなく耳障りよく流れている。
歌声に引っ張られるように俺が歩みを進めると、歌声の発生源は地下だった。人が肩をすりあわせてようやくすれ違うことの出来るくらいの狭い階段を下り、本物の胡桃材で作られた扉をゆっくりと開く。そこは照明が適度に落とされた小さなスナックだった。それほど広くはない。カウンター席が幾つかと、ボックスソファーが幾つか。そして低く抑えられた小さなステージ。
「いらっしゃい」
バースペースの奥にいたバーテンダーが俺に声を掛ける。店内の客は俺の侵入など気にすることなく、ステージで歌う若い女性に視線を向けている。とりあえず俺は誰も座っていないカウンター席の一つに座って、バーテンダーにウィスキーを注文すると、他の客同様にステージを見つめる。
歌う女性は若い。二〇歳には達していないだろう。まだ身体の線は細いが、ピッタリとした深紅のナイトドレスが身体の曲線をより強調している。スリットは深く、肩口も大きく開いていてより扇情的だ。男の客達の視線は殆ど胸やスリットの奥へと向いている。歌手はその視線に気がついているのは明らかだが、その歌声に雑念は全く感じられない。強くしなやかに延びる豊かな声は、狭い店内で反響し、俺の胸すら揺さぶる。帝国公用語であるのをこれほど残念に思ったことはない。
歌が終わり、店内は拍手の渦に包まれ、女性はゆっくりとお辞儀をする。胸の谷間が見えそうなくらい深く……おそらくはそれを狙っているのだろう。にやけ下がったボックスソファーの男達に愛嬌を振りまき、時に酌をしていく。そして今度はボックスソファーに座っていた別の女性がステージに立ち歌い始める。先ほどとはうってかわってリズミカルな曲だ。再び男達の視線がステージへと向けられる。だが声量といい声質といい、先ほどの女性に比べたら素人の俺にですら分かるほどの差がある。
聞くまでもないなと思い、バーテンダーが入れてくれたグラスを手に取り一口すすると、俺の横に座る影があった。深紅のナイトドレスに赤茶色の長い髪。ほっそりとした顎の左に小さなほくろ。
「お客さんはこの店は初めてね」
若い女性はバーテンダーから渡された烏龍茶のグラスを俺に掲げる。
「わたしはドミニク。これからもどうぞご贔屓に」
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