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、この危機に対しある新兵器の投入を決断し、大統領府へと進言した。
最初の2週間で戦線は国境から80キロあまりの位置にあった。中華ソビエトの戦力が徒歩の進軍が、遅い戦線変化の理由である。その間、国連軍は満ソ国境、朝鮮半島から引き抜けるだけの予備戦力を奉天に集結させ、さらに新兵器を載せた爆撃機を岩国基地に配備していた。
1月27日現地時間8時30分、承徳を攻囲しさらに北上を始めた中華ソビエトの主力の上空で、もう1つの太陽が生まれた。TNT火薬15キロトン分のエネルギーが解放され、数千度の熱線と爆風が辺りをつつんだ。
ソドムとゴモラを滅ぼした神の火の再臨である、と後に攻撃を行ったB−36の機長が手記に書き残している。
この攻撃で70万の戦力のうち、12万が文字通り消滅し、さらに10万が重傷者となった。それよりも多くが軽傷者となり、無傷の者も時間がたつごとに脱落していった。3割の喪失で全滅と計算される軍事上では、すでに戦力としての価値を失っていた。また、国連軍は戦線後方の物資集積地、内蒙古方面を進軍する敵に対しても、同様の攻撃を実施し、満州地域における敵の軍事的意図を封殺することに成功する。
もっとも、成功したことが、国連軍、特にアメリカ軍の立場を危うくすることとなる。
使用されたのは「原子爆弾」と呼ばれるようになる兵器だ。この兵器は、第2次世界大戦中に開発が始まり、1946年、アメリカ・ネヴァダの核実験場でその産声を上げた。ガンバレル方式、爆縮方式とよばれる2種類の実験が行われ、世界初の核保有国となった。
もっとも、この実験ではその後の影響についてはあまり調査も行っていない。はじめての実戦使用となった満州の地で、その威力が世界中に知れ渡り、なおかつ非人道的な中長期にわたる影響が明らかになった。
120万の人間が1日で、しかもたった数発の爆弾で壊滅した。瞬く間に世界中へと伝えられ、最初、アメリカは勝利を強調し、中華ソビエトに対して更なる核兵器の使用を示唆する警告すら与えた。国連参加各国も、これを機会に1948年の停戦ラインを維持する休戦を中華ソビエトに対して求める。が、ここでソ連が介入する。
1月29日、ソビエト連邦はオホーツク海にて海上核実験を実施。同種の兵器を輸送手段と共に実用化していることをアメリカに示し、これ以上の使用が行われた場合、中華ソビエトへの核兵器の供与とソビエト連邦の中華大陸介入を実行すると脅迫まがいの声明を発表する。
結果、2月現在、中国大陸の戦火は、南北ともに小康状態に入っている。アメリカでは更なる核兵器使用による戦争の早期終結を主張するマッカーサーと、ソ連参戦を恐れるホワイトハウスの間で意見の相違が生じていた。
そのあおりを受けて、日本でも国連軍参加を決定した吉田茂内閣に対する批判が巻き起こり、2回目の退陣にまで話は及ぼ
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