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空を凪いだ。着込んだコートの上から叩きつけてくる風は、高嶋少佐の体を凍えさせた。周囲を見れば盆地を囲む山々が見えた。南側には川が流れ、その対岸は転々と田畑と民家が広がっている。北側には彼が立っている滑走路と共に、航空機格納庫が立ち並んでいるのが見える。併設する川崎飛行機の工場では、試験飛行のために持ってこられた試作機が整備を受けているはずだ。
純国産航空機の試験飛行は6年ぶりだ。巌谷中佐と高嶋少佐が持ち帰ったドイツからの舶来物の解析と、国産化の末に完成した機体だった。石川島飛行機製作所が開発した初の国産軸流式ターボジェットエンジン「ネ130」の搭載を前提に、中島飛行機と九州飛行機がそれぞれ1機種ずつ試作している。それぞれ陸軍と海軍の要請によるものだ。
今回の試験飛行では、50年代中盤に採用が予定される空軍の次期主力戦闘機の候補として開発する国産機を選ぶことを目的としている。いまだ復興途上の日本には、2機種の開発を継続できるだけの余裕はなく、しかも中華動乱での消耗を補充する必要もあった。そのため、1機種に絞り込んでの開発継続が決まっていた。
もっとも、陸軍所属の高嶋少佐が足を運ぶ必要はないはずだった。すでに陸軍に航空機部隊はなく、帰国後、直接開発にタッチする機会もなかった。彼が今回、各務原基地を訪れたのは、沢城重工社長に会うためだった。
1950年冬。まだ年明けの余韻がなくならない日本は、激しい変化の渦中にあった。その原因は中華大陸における戦況の急速な悪化と国連軍による反撃、そこから派生した日本国内の政治情勢の急変にあった。
1949年8月21日、中国大陸に上陸したアメリカ陸軍第2軍集団、日本皇国軍大陸派遣群、ANZAC師団を中心とする国連軍第2陣は、南京前面の防衛線に展開し、12月末までに長江南岸に達し、攻防の中心は上海の争奪戦と、長江北岸への国連軍渡河めぐる攻防戦となる。
開戦から8か月、戦争の成果を失いかけていた中華ソビエトは、国連軍の戦力分散を図り、かつソ連からの更なる支援を引き出すための反撃を、北の大地で行う。
彼らの手にはあらゆる形で集められた歩兵、民兵の類が多量に存在した。そして、攻勢にも反撃にも、防御戦闘にも使い難いそれらの(失っても惜しくはない)戦力を、毛沢東とその取り巻きは、極東におけるアメリカ最大の権益地、満州へと送り込んだ。
120万とも言われる戦力の投入は、1950年1月11日に事実上の国境となっていた万里の長城を突破、北京北方の承徳、内蒙古のシリンホトをめざし進軍を開始した。対する国連軍は、戦力の多くを長江の戦線に送っており、満州には対ソ戦用に動かせない国境兵力を除けば、機動防御用の2個機械化歩兵師団しか残っていなかった。
在満州国連軍、事実上の進駐アメリカ陸軍の総司令官、ダグラス・マッカーサーは
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