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ざまざと見せつけられ、また大陸の緊張が増していることから、早急に新型機の採用を政府に求めた。結果、1948年中にアメリカから余剰となったP−80戦闘機が供与されることになる。(すでにアメリカでは新型機の開発に目途が立っていた)
余剰となった「疾風」は改良の上で、戦闘爆撃隊に移されることとなった。一式戦闘機「隼」V型を主力としていた戦闘爆撃隊にとっては念願の新型機ではあったが、日本製航空機特有の防弾性のなさや、芸術品と言われた「誉」の整備性の低さなどが問題視された。また、500キロ爆弾と噴進弾の同時搭載を可能とする積載量も求められた、改良がはじめられた。
アメリカからは余剰となったP−47「サンダーボルト」の供与を打診されたが、戦後、縮小気味の国産航空機産業を保護する観点から、エンジンのみの供与を受け入れた。
「誉」よりも一回り大きいP&W R−2800ダブル・ワスプエンジンを搭載するために機首を延長、変化した重心を安定させるために主翼が大型化された。主翼には噴進弾を搭載するためのハードポイントが増設されている。
また、過大な装備を搭載により、機体全体の剛性を高める必要が生じたため、機体フレームと外板を増圧、結果として防弾性の強化にもつながった。加えて自動消火装置、ゴム製の燃料タンク被膜、座席後ろの防弾装甲(20ミリ)を搭載し、一通りの完成を見た。
四式戦闘機二型「疾風改」として採用された機体は、1948年から配備が始まり、各所で「和製サンダーボルト」と呼ばれるようになる。それは、決してほめる言葉ではなかった。小型の機体に大型のエンジンを搭載した結果、ただでさえ重く設定されていた舵がさらに重くなり、防弾性も米軍機と比較して不十分だった。そして、中途半端な機体を渡された戦闘爆撃隊は、機種転換訓練を終えた頃に、新たな戦場へと派遣された。
攻撃は最初からかんばしくなかった。
中華ソビエトは度重なった航空機による損害を憂慮したのか、思っていたよりも多くの対空機関砲を部隊に同行させていた。低空で侵入した梶谷たちの編隊に、3000メートルの距離から射撃が始まり、照準が修正されて徐々に火線が密集していく。
編隊はさらに高度を下げた。最大積載時の対地最大速度の時速530キロで敵陣に突入し、編隊飛行のまま爆撃を敢行して、すぐさま帰投。そういう攻撃計画のまま、梶谷たちの編隊は飛行した。
高射砲弾の破片が上空で飛散した。時限信管の調整が上手くいっていないのだろう。起爆位置は遠い。XT信管のような気の利いたものは供与されていないようだった。
<全機、そのまま進め。一航過して――>
編隊長からの通信が途絶えた。右斜め前に居た編隊長機の左主翼が、機関砲弾によって破壊されていた。バランスを崩した編隊長機は、引力に従って落下し、地面へと突っ込んだ。噴
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