暁 〜小説投稿サイト〜
今宵、星を掴む
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3機の変則的な編成が組まれている。六五三空は現在、疾風改34機が保有機のすべてである。本来なら48機12個小隊が定数だが、回復力の低い本国からの補充はいつも遅れ気味だった。
 今回の任務は前線の先鋒で進軍する友軍部隊の支援だった。六五三空から3個小隊9機の疾風改と三四三空2個小隊8機のP−80が参加部隊のすべてだ。3個戦闘航空隊、1個戦闘爆撃航空隊、計192機とその支援部隊で構成される中国派遣航空集団にとっては、日常的な任務だった。戦争が終わって進軍が止まるまでは地上支援、阻止攻撃を辞めることはない。
La−7やYak−9といった第2次世界大戦中に採用された戦闘機の頭を取ったP−80が、逆落としに銃撃を行い上空で交錯する。ジェット機特有の甲高いタービン音が空を横切った後ろで、数機の敵戦闘機が火の手を上げて地上に落下している。再び上昇に移ったP−80を敵戦闘機が追撃するが、上昇能力と高速に優れたジェット機について行ける機体はなく、再度の降下でまた敵は被害を出していた。時速で200キロ近い差は、空戦において致命的なものだった。
三四三空の切り開いた血路を高度20メートルで突破した梶谷と僚機は、両翼に計12発搭載した3式噴進弾改と胴体下の500キロ爆弾を抱えて敵へと突入した。搭載量ぎりぎりまで積載した重い機体を、R−2800がうなりを上げて推し進めた。

 四式戦闘機二型「疾風改」は川崎航空機による製品で、ある意味、キメラというべき機体でもある。
 原型となった四式戦闘機「疾風」は、第2次世界大戦中、陸軍からの試作指示を受けて開発され、1944年に採用された機体だ。日本初の2,000馬力級航空機エンジン「誉」の搭載を前提として、陸軍伝統の軽戦思考に基づいて設計された「疾風」は、停戦間近に実戦配備され、おもに中国戦線で活躍を示した。3月に編成された最初の装備部隊、第22戦隊が7月に中国戦線へと派遣され、アメリカ軍から一時的に制空権を奪取する活躍を見せた。
停戦までの約1月間の戦闘ではあったが、確かな存在感を見せた「疾風」は、戦後、軍縮によって国産戦闘機の生産が次々と停止する中、生産が継続された。そして、「烈風」や「紫電改」といった海軍の新世代戦闘機の開発が遅れ、停戦と共に開発が中断したため、対抗馬が不在だったこともあり、新編成の空軍において最初の主力戦闘機として採用される。
しかし、時代は過度期にあった1946年にアメリカ陸軍航空軍がP−80を採用したのを皮切りに、主要各国は続々とジェットエンジンを搭載した戦闘機を配備していったのだ。日本でも1945年にドイツから持ち帰られたMe262「シュヴァルベ」の技術解析が行われ、国産技術の蓄積が始まっていた。
1947年、皇国空軍はアメリカ空軍との合同演習において、ジェット戦闘機とプロペラ戦闘機の性能差をま
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