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今宵、星を掴む
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 第2次世界大戦のすべての戦闘が停止したのは、1944年12月24日のことだ。
 戦闘を続けていたソ連軍の侵攻がドイツとポーランドの国境に達したところで、アメリカとイギリスがドイツ国内に進駐軍を送り込んだことがその原因だった。
 この時点では講和条約や降伏は行われておらず、とりあえず各国間で停戦が成立しただけだ。そのため、日本では8月15日が「終戦記念日」とされるが、世界一般では講和条約が結ばれた5月8日が終戦の日とされている。
 各国間で結ばれたのが「停戦」とはいえ、事実上、連合国の勝利で第2次世界大戦は終結した。枢軸陣営主要国たる日本、ドイツ、イタリアのうち、イタリアは1943年のうちに降伏しており、日本とドイツも戦争目的を満たすことができず、過大な軍備の負担に国家財政が破たん寸前だったことを考えれば、感情的な論者以外は否定することができなかった。
 そして、講和会議がドイツ・ポツダム、日本・京都で行われたことは、どちらが勝者であるかを雄弁に物語っていた。
 講和会議とは勝者が敗者の土地で行うものなのだ。
 1945年2月にはじまった京都講和会議は、3カ月に及んだ議論の末に5月8日にまとまった。この日取りはドイツ・ポツダムと同じである。
結果、日本の施政権は主要四島とその周辺の諸島に制限され、台湾・南西諸島・小笠原諸島はアメリカおよびイギリス、南樺太はソ連、満州はアメリカと中華民国の信託統治を受けることなる。マリアナ諸島をはじめとした南洋諸島は、アメリカの信託統治領となった。
賠償問題については、主にイギリス、中華民国や独立準備政府が発足していた朝鮮から多くが求められたが、日本に払えそうなものが少なく、海外領土および権益、海軍艦艇の引き渡しで済まされることとなった。
条文の解釈や賠償請求権などで多くの問題は残しながらも、日本の戦争状態は1945年5月8日に終わり、新しい時代へと向かうことになった。

 出典:則武敦「日本の戦後」『世界史B』山海社 p.123


 (前略)憲法改正により日本皇国と名を変えた日本は、財政破綻の危機にあった。半ば人為的に起されたインフレーションによって借金の数値上での割合は下がっていったが、それでも巨大な借金が財政を圧迫していた。さらにインフレーションは物価の上昇によって国民の生活を脅かし、円の対ドルレートも急激な円安へと向かうこととなる。
 戦前、朝鮮半島と満州からの食糧輸入に頼っていた日本の台所はこの時期、完全に枯渇しており、アメリカからの無償食料供給がなければ、日本国内では餓死者が出ていただろうといわれるほどの窮状であった。
 停戦後、肥大化した軍隊は真っ先に削減の対象となった。その流れはアメリカの統治下におかれた満州、朝鮮半島における巨大な需要に対する、供給を満たすための労働力を
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