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ュヴァルベとコメートの現物は、防衛技術研究所に送りました。富士重工や三菱重工、あと川崎の技術者が協力して解析を行って、今は技術実証機の研究に入っているはずです」
「ほーん。まあ、あと10年は国産機の開発に予算は出せないだろうから、その間は研究かね」
「結局、どれも日本の技術では造れても、量産できないと聞いたが」
「はい。単純な機械精度、あるいは冶金技術の遅れが致命的らしいです」
「そうか……まあ、仕方がないな。1944年の時点で、ベアリングすら事欠くようになっていた我が国なのだから」
高嶋少佐は頷くだけに留めた。それから、まだ話せることがあったのを思い出す。
「あと、A4は異質な技術で、どこも手を出すのに躊躇しています」
「復讐兵器2号だな。噂には聞いていたが、どうも理解しにくい」
「しかし、アメリカとソ連は、戦後から技術者ごと持ち帰るほど注目しているらしいな」
「噂ですけどね。どこか手を上げてくれる企業があればいいのですが」
「あそこはダメなのか? 空対空噴進弾を開発していたのが、満州にいたろう?」
久坂中佐が言葉を受けた。
「ああ、沢城重工か。そういえば、九州飛行機と提携していたな」
高嶋少佐は初めて耳にする会社だった。
◆
1949年9月10日 宮崎県福島町 日向灘沿岸
宮崎県の南側、急峻なリアス式海岸の連続する海岸の一角に、沢城重工の藤の花を象った社旗を戴いた鉄筋コンクリート造りの建物が建っていた。
5階建てのビルの周囲にまったく民家は見えず、木々もまばらだった。海に面しているためか、海岸から強い風が吹き込み、旗を激しくなびかせている。
海岸段丘を背後においた立地で、集落からも離れたこの場所は、非常に不便だった。しかし、だからこそ裕也はこの場所を選んだのだった。その理由は、海岸の近くで海へ傾けて立っている高さ5mの翼がついた砲弾のようなものが関係していた。
戦後軍縮によって維持費すら事欠くようになっていた軍は、後方支援や兵器の供給の多くをアメリカに頼らなければならなかった。そもそも第2次大戦中の日本軍装備では、まともな戦争にならないと分かっていたこともあり、多くの装備はアメリカ軍からの払下げを使用していた。
M4A1シャーマン中戦車、P−51Hムスタング、B−24リベレーターといった陸空軍の正面装備という目立つところから、果ては歩兵の移動手段までアメリカナイズされていた。海軍にしても、生き残ったのは二式大艇などの日本独自のニーズに合わせて作られた航空機ばかりだった。艦の装備もドック入りするそばから、40口径127mm連装砲やボフォース40mm機関砲、各種電子装備が載せられた。このころの軍は、「命だけが国産」と
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