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動の調整から、噂まがいのものまで含まれていたが、各軍の内情を把握する場としての意味を見出した三人は、なるべく集まるようにしていた。
三軍の統合運用を行うために1948年に設置された統合軍令部は、まだその活動の調整段階にあった。そのため、高嶋少佐のような連絡将校が三軍から派遣され、統合軍令部作戦会議から下された決定を基に、調整とすり合わせを行って各軍に作戦の通達が行われていた。
本来なら作戦会議から直通で、各軍の作戦レベルでの指揮中枢(陸軍参謀本部、海軍軍令部、空軍作戦本部)に伝わる形で指揮系統が整備されるはずだったが、中華大陸での突然の危機を受けて、場当たり的な士官の派遣で統合軍令部の機能は動かされていた。
「ところで、国連軍に参加する部隊の抽出は――」
「源田実少将が張り切って三四三空を伴って満州に行くことに――」
「海軍の大西中将が天城に移って――」
「西大佐が富士で吠えてました。『俺にパーシングを渡せ』って」
「そのうち供与されるだろう。アメリカで、新型が完成しているらしいじゃないか」
最近の話題は総じて皇国軍最初の外征となる国連中華大陸派遣軍のことだった。
アメリカからの命令に等しい参戦要求に対して、日本政府は部隊の派遣をすでに決定していた。
八月現在、南京目前まで迫った中華ソビエトの機械化部隊は、すでに市街地への突入を控えていると日米の関係者は考えていた。
現在、長江南岸に展開している国連軍は、アメリカ・イギリス・フランス・オーストラリア・カナダの部隊を中心に、30万人規模に膨れ上がっている。しかし、膨大という言葉すら不足する中華ソビエトの繰り出す人の海の前に、効果的な反撃を阻まれていた。
要請を受けた日本政府は、自らが出せる最良の部隊を派遣することにしていた。その内訳は空母2隻・戦艦1隻を基幹とした1個機動艦隊、1個機甲師団を中心に4万人規模の陸軍1個軍団、空軍1個航空艦隊となっていた。派遣規模は当時の日本皇国軍の3割近くに及び、戦後初めて予備役の収集も始められていた。
当初、中華民国の国民感情や5年前まで戦争状態にあった間柄であることから、陸軍戦力の派遣に日本政府は慎重な姿勢を示していた。しかし、夏に入ってから度重なる南京からの救援要請にアメリカの説得が重なって陸軍戦力の派遣は決定された。
統合軍令部では8月中旬の派遣を前に大わらわだった。
「ところで」
細いジャガイモを揚げたフライを食べながら、加賀谷中佐が話題を変えた。
「少佐が持って帰ってきた、ドイツのお宝は今どこにあるんだい?」
久坂中佐もスプーンを置いて、こっちも気になってたんだ、と話に乗った。
高嶋少佐は、もう担当じゃないのですが、と前置きして話し始めた。
「シ
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