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ろん、国内の反発は大きく、陸軍の近衛師団を中心とした一派がクーデターを計画していたことが、後の調査で判明するほどだった。
しかし、顧みればこの時に行われた改革が、軍事偏重の二流国家に過ぎなかった大日本帝国を、アジア世界初の先進国へと導いたといえる。国家財政を硬直化させるほどに拡大した軍閥・軍需産業を解体し、新たに組み込まれた英米を中心とする自由貿易体制の中で生きていくには必要なことだった。
後の口さがない左派を自認する政治家たちは、既得権益に縛られた日本社会の中からでは決して実現できず、巨大な外圧によってのみ実現できたのだ、と黒船の例を持ち出して言及した。あるいは、右寄りの政治家は、1944年8月10日、御前会議において聖断を下した天皇陛下のもたらした結果であり、また主権在民を認めたからこそだと述べた。
もっとも、日本人一般からすれば、その日の飯の心配の方が先立ち、社会の変化と国としての日本の立ち位置を考えられるようになるのは、もう少し先のことだった。
なにはともあれ、日本は国際社会の荒波にもまれて、変化の途上にあった。そして、戦後第2の荒波が、今まさに日本と北東アジアを動かそうとしていた。
事の発端は、中国共産党を名乗る長江以北の中国大陸を支配する集団が、突如として南下を開始したことだ。1949年4月10日、200万の軍勢が長江を奇襲的に渡河し、中華民国首都南京を目指して進軍、同年6月末には10キロの距離まで進出することに成功していた。
もちろん、中華民国側の反撃も行われていたが、ソ連から大量の兵器を燃料ごと提供され、さらに東側各国から続々と送られてくる多くの“義勇兵”を擁して電撃戦を行う赤い軍勢は、その努力を排除し進軍を続けていた。
もう少し情勢を俯瞰してみる。
当時、中華民国と中国共産党(以下、彼らの自称するところの中華ソビエト)の正面軍事力は、ほぼ互角か中華民国側の比較優位にあると思われていた。しかし、中華民国が頼ったアメリカが、彼らの新たなフロンティアである満州により多くの努力を払っていたのに対して、中華ソビエトの後援者たるソ連は、欧州正面で第2時大戦中に回収できなかった利益を、アジアで得ようとより多くの支援を行った。
また、中華ソビエト側が人工の多くを占める農民たちに、農地の分配などで支持を得ていたのに対して、中華民国は搾取の対象として支持を失っていた。また、中華大陸特有の官僚腐敗により、アメリカからの支援の何割かが闇へと消えていた。その結果、短期的な中華ソビエトの勢力伸長と、中華民国の退勢をもたらしたといえる。
純戦術的に見れば、大河長江の防衛ラインに薄く広い戦力配置を取る必要があった防衛側の中華民国に対して、攻撃側の中華ソビエト側は戦力の集中を行いやすい環境にあった。その優位を、ドイツ陸軍との死闘を事実上勝利し、当時世
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