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欲していた民間企業の求めるものとも合致していた。
結果、日本皇国陸軍、海軍と名を変えた組織は空軍を加えて軍務省にまとめられる。戦力は陸軍が16個師団体勢(半分は予備役の投入を前提にしたもの)。海軍は空母4隻、戦艦2隻を基幹とした3個艦隊、各種航空隊600機、空軍は戦闘機1000機、爆撃機500機を基幹とするものに改変される。
その間にも、世界情勢は激しく変動し、2つの巨大な国家がイデオロギーで対立する「冷戦」へと移行していた。後世の歴史家たちは、1944年12月24日、後にクリスマス停戦と呼ばれる独ソ戦の終了を歴史の変わり目としている。
この時、停戦ラインはポーランドとドイツ国境にあった。ドイツ軍の撤退と共に米英などの軍が入り込み、バルカン半島やチェコ・スロヴァキアに進駐。ソ連軍の浸透はバルト3国、フィンランド、ウクライナ、ベラルーシ、そして東プロイセン地域のみとなる。
アジア地域では、日本軍の撤退とともに宗主国の軍隊も戻ってきた。しかし、日本軍が残していった武器を装備した原住民との間に独立戦争が勃発し、多くの混乱が生じる。また、中華大陸では国共内戦が再開。決め手に欠けた両者の戦闘は共産党の比較優位で進展する。海岸線へと押されていた国民党軍は、満州と台湾に残された日本資産を反撃の糧にすることを目論むが、アメリカがこれを拒否。代わりに本国で余剰となった大量の武器弾薬を提供し、一時的に戦況は均衡する。結局、1946年に長江を境として停戦が成立する。
満州・朝鮮に進駐したアメリカ軍は、現地の日本統治機構から徐々に移行しながら、それぞれの土地を第2のアメリカにするべく多くの資本を投下。満州の油田はその油質が重く、軽質油には使いにくいことが判明するも、発電には十分に使えることから、火力発電所の建設が進んだ。
この開発には、日本の産業に多くの注文がよこされ、戦後の復興の最初のカギとなる。(攻略)
出典:神谷明2011「日本の経済復興と世界情勢」『東アジア政治秩序の形成と戦後史』浦川社
1946年 宮崎県延岡市 沢城重工細島工場
沢城裕也は一族郎党、社員一同を引き連れて故郷へと帰ってきた。1945年2月に本格化した満州からの復員の流れに従って日本へ帰還した彼らは、その年の冬には新たな土地で仕事を始めていた。
細島工場では、満州の旧工場と比べてもそん色ない機械がラインに並べられ、満州や朝鮮、台湾でアメリカが欲したトラックの生産が行われている。さらに日本皇国陸軍と名前を変えた軍への武器の供給も細々と再開し、1946年内にはなんとか操業できるだけの資金や資材を手に入れることが出来ていた。
また、戦後に縮小した航空機業界の動きに合わせて、戦前から付き合いのあった九州航空機と提携し、九州内に地歩を得ることにも成功していた。なに
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