第1部 戦後の混乱と沢城重工
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投げた。
引き裂かれた紙が舞い、窓ガラスが割れ、瞬く間に部屋は雑然とした。それと反比例するように裕也の心は空虚になっていた。
これからどうすればいいのか分からなかった。しかし、おおらかで広大なこの国で仕事を続けることは出来ないだろう、ということだけは分かった。
1933年に裕也が創業した沢城重工は、アメリカの大量生産技術を導入した農業用トラクターの生産で成功し、航空機部品の納入で陸軍と提携するなど、ここ10年で急成長していた。その裏には裕也のアメリカの友人との個人的な協力関係や、販路を広げたがっていた前の勤め先である中島重工、九州飛行機との提携などの理由があった。生産設備の購入や渡洋費用には、旧日向国北部延岡藩の家老格だった沢城家の財産をすべて使った。
沢城重工の起業は裕也の人生をかけた賭けであった。そして、その賭けは敗北によって敗れようとしていた。
9月4日、東京停戦条約が締結されると、本格的に沢城重工と裕也の周辺は、慌ただしい動きを見せ始めた。
東京停戦条約の内容を箇条書きにすると以下のようになる。
・すべての占領地、日清戦争以降に獲得した海外領土からの撤退
・日本の国体護持保証
・捕虜の相互帰還
漏れ聞くところでは、ソ連とドイツの間ではいまだに戦闘が続いており、満ソ国境に多くの部隊が集結しているらしい。まだ連合国の間で占領統治に関する調整が十分ではないという、話も聞こえていた。
10月に入ると大連市は中国本土から撤退してきた日本支那派遣軍の将兵であふれかえり、港は帰還のためにやってきた船でいっぱいとなっていた。続々と出航する日本籍の輸送船に交じって、星条旗を掲げた船もちらほら見え始めていた。日本の大陸毛根期の消長だったこの街は、その主人をまさに変えようとしているところだった。
変化は沢城重工と裕也にも例外なく襲いかかっていた。日本が国外に持つ資産の多くは連合国、主にアメリカが安価で買い取ることが決定。個人所有の対外資産についても、日本が安価で買い取った後に、連合国へ売却されることとなった。
沢城重工の工場設備も例外なく購入リストに含められていた。彼に渡される購入代金は、社員の退職金や日本への切符代に消えるほどでしかなく、これまでの人生で積み上げてきたすべてを裕也は失おうとしていた。
「社長」
「ん? どうした」
日本の担当者に引き渡すための設備目録を作っていた裕也のもとに、若手の社員がやってきた。質素なつくりの社長室に入ってきた社員は、困惑した表情をしている。
「あの、社長の友人と言う方がいらっしゃっているのですが」
「友人?」
「はい、アメリカ陸軍の技術中佐だそうです」
今度は裕也が面食らう番だった。アメリカ陸軍の友人など居た覚えはなかった。
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