泥を踏み抜き光を求む
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栄えているには栄えているなりの理由がある。
例え主がバカであろうと、単純に、簡単に……三州を、今では四州を束ねる程の家に発展するであろうか。
並み居る豪族達を名家の威光で……言うなれば血を多く流さずに以って従えてきた。それは容易な事では無い。
組織化された文官達が筆マメから血を滲ませるまで書簡に向かい、歴史から受け継がれてきたモノを昇華させ、研鑽されて来た地方政治。
時には厳しく、時には優しく、大なり小なり波風を立たせながらもしっかりと成功させてきた外交。
少しでも生活基盤が揺るがない場所を求めて根付き、身なりにあった生活の中で血税を収める民達。
民は明日のごはんのおかずが少しでも多い方がいい。一日一日を確かに生きて行きたい。それが当たり前。
言うなれば、上が汚かろうと綺麗であろうと、暮らしに問題が無ければそれでいいのだ。
袁家大本はそこを見誤らなかった。否、変えなかった、と言った方が正しいであろう。国が成り立つ基準を見誤らず、繰り返されてきた歴史の継続をしっかりと保っている。試行錯誤を繰り返しながら。
袁術領は元から土地柄も合わず、荒れすぎていて発展もあまりしていなかった為に、さらには首輪付きを利用しようと飼っていた為に、大本の南皮で行われているような政治をしなかっただけである。所詮は予備の拠点程度でしかなかった、という理由もあるが。
そして元来、王とは民の側に立つ者では無い。格差社会に於いて、身分の高いモノに民が己の意見を言う事など、その者達が許さない限りまず有りえない。いや、一文官であろうとも、一武官であろうとも、通常、王に意見出来るのは許された時のみであろう。
徳高きモノ、と誰かが言う行いは、本来なら民にとって当たり前の事を“身分が低いモノに対して”行っているに過ぎなかった……そのような事も多々あったのだ。
頭を垂れさせ、為政者達のおかげで日々此れ安全に生活出来ている、と感謝されるのが上位者にとっての当たり前。そんな世の中なのだ、この時代は。
だから街中で民の目の前で行われているモノは、袁家に於いては当然の事。何も、問題は、無い。
「御神輿わっしょい! 御神輿わっしょい! おーっほっほっほ! おーっほっほっほ!」
神輿に担がれ、屈強な男達に支えられ、煌びやかな衣服を纏った王が街を順繰りに巡回して行く光景は、袁本初の治めるこの街では普段通りの事態である。
王が、一番最頂点に君臨するモノが、豪著な生活を行えている……それはこの国が豊かである事を示す何よりの証拠であり、揺るぎない指標にして、民の心に安心を齎すモノ。従属する豪族達にも、財力という最も分かり易い“力”を見せつける事が出来る。
質素倹約な王。いい事であろう。それはまさしく、“いい王”で“徳高き王”で
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