Lebensgrundlage 〜帰るべき場所〜
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て手を放すと、チェロの滑らかな胴体部へ向かって、ほうと息を吹きかけた。過剰な湿度を与えてはならぬ楽器であるが、それが愛器への挨拶であった。クロスでさっと拭きあげてから、親友の後ろへ回り込み、椅子に浅く腰かける。弓を右手に取り、左から右へゆっくりと引いて第1弦の音を出す。調弦されていない不安定な音が室内に響いた。
大丈夫、忘れてはいない。親友との語らい方を。
オーベルシュタインはまるで子どもの頭を撫でるように、チェロのネック部分を2,3度撫でた。後ろから抱きかかえるようなこの姿勢が、彼は好きだった。大切な親友の背中を守れるようで、そのまま抱きしめてしまいたい衝動に駆られるのだ。
気を取り直して、オーベルシュタインは調弦を始めた。いったん立ち上がると、グランドピアノの蓋を上げ、クロスを外す。
ポーンとA(アー)を叩いて、チェロの第1弦を合わせる。D(デー)、G(ゲー)、C(ツェー)とも同じことを繰り返し、調弦を終えた。オーベルシュタインは特別な音楽教育を受けた経験がないにも関わらず、非常に耳が良かった。恐らく生まれながらに盲目であり、義眼を使用してはいたものの、たびたび闇に襲われることがあるため、他の感覚が鋭敏になったのであろうと自身では推測している。そもそも、この楽器を友とした理由もそれだった。
オーベルシュタインが幼少のころは、現在よりも尚、障害者に対する様々な支援が不足していた。義眼のような技術開発も遅れており、当時彼が使用していた義眼は、今のものよりも粗悪で壊れやすく、代替品の入手にも時間を要した。必然、暗闇に堪える時間は今よりも格段に長かった。そんな彼に小さな弦楽器を差し出したのは、次期当主であるにもかかわらず捨て置かれた小さな主の身を案じた執事であった。
「これは何だ、ラーベナルト」
不安げな表情で恐る恐る手を伸ばすパウル少年に、ラーベナルトは柔らかく微笑んだ。
「ヴァイオリンでございます、パウル様」
機能しない疑似眼球を瞼の下に隠して、16分の1サイズの楽器に触れる。子ども用の、だが決して安価ではないヴァイオリンの曲線を、その姿を確かめるかのように撫でて、未だ呼吸する木のぬくもりを感じた。
「……小さい」
「パウル様のお身体に合わせて作らせましたので、普段ご覧になっているものよりは小そうございますね」
穏やかな執事の声に、小さな口元がきゅうと歪む。
「ぼくの……?」
その問いは二種類の意味を持っていた。確かに見聞きしたことのある楽器ではあるが、手に取ったこともなければ教師が来るとも聞いたことがない。それなのに自分専用のものを与えられる意味が、少年には理解できなかった。
そしてもうひとつ、恐らくこちらの方が重要な意味を持つであろう問い。
『父は』、それを赦したのか。
少年の不安を宥めるように、大きな手が優しく頭を
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