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蜀碧
第六章
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「さもなければ話にならない」
「そのことは間違いないのですね」
「しかしここまで無道な殺戮はな」
「ありませんでしたか」
「ましてや我が国は物事を大袈裟に言う」
 このことも頭に入れねばならないというのだ。
「三百万をそこまで殺せるか」
「とてもですね」
 このことからも答えた書生だった。
「大袈裟な話ですね」
「清も後から四川に入りそれからも戦いは続いている」
 魯迅はこのことにも言及した。
「人がいないと戦いにはならない」
「当然のことですね、このことも」
「張献忠がそこまで殺していたならだ」
「清はまさに無人の野に入り」
「戦う必要がなかった」
 それも一切というのだ。
「揚洲の様なことにもなっていない」
「揚洲十日記ですね」
 こうした書もある、清軍が揚洲に入った時の彼等の暴虐についてかなり細かく書いたものである。著者はわかっていない。
「あの様なことはですね」
「なかった、おそらくそこまではなかった」
「どう考えてもですね」
「そうだ、だが」
「だが、とは」
「我が国の歴史を見るとだ」
 どうにという顔になって言うのだった、魯迅はここで。
「こうした話が多いな」
「戦乱も多く」
「そうだ、戦乱でなくとも酷い話がある」
「そのこともですね」
「覚えておかねばならないしだ」
 そして、というのだ。
「あらためていかねばならないな」
「先生はそう思われているからですね」
「そうだ、常に書いているのだ」
 その負の部分をあえて書いてというのだ。
「あらためていく為にな」
「それでなのですね」
「これからも書く」
 そうしていくというのだ。
「是非な」
「そうですか、では」
「君にもその書を読んでもらいたい」
 こう書生に言うのだった。
「書いたものをな」
「それでは」
 書生も頷く、そして魯迅はすぐに執筆にかかった。
 張献忠については諸説ある、彼が残虐な人物であったことは事実であり虐殺を行ったことも事実であろう。実際に成都から人骨が掘り出されたこともあった。
 だが語り継がれている様なことがあったのか、三百万人も殺されたのかということには諸説が残る。魯迅だけでなく多くの人物が疑問を呈している。
 筆者もおそらくそこまでの虐殺はなかったと考えている、何故ならここまで異様な虐殺者が人に支持される筈がなく明日は我が身と思えば去るか叛乱を起こすか逆に殺すからだ。しかし彼は清に攻められて敗死するまで虐殺を続けしかも梁紅玉とも戦っていた。蜀碧にある様な虐殺をしてそうしながら戦えるのかという疑問もある。
 書を読み学ぶことはいい、しかしその書かれていること全てを信じることは危険だ。このことは張献忠についても言えるだろう、そうも思いここに書き残しておくことにした。読ん
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