のつぶやき |
2015年 02月 03日 (火) 01時 57分 ▼タイトル しっくりこないもの ▼本文 久々に長ーい話。 前に話したかどうかは忘れましたが、私はONE PIECE大好き人間です。あれは凄い漫画ですよね。もう読み始めて数年経ちますが、今読み直してもやっぱり面白いです。作者の尾田っち曰く、「昔の自分が読んでも面白い内容にしてる」という拘りかたをしているらしいので見事と言わざるをえません。 で、何でまた突然マイナー好きの私がONE PIECEなんてメジャーなものを取り出したのかというと、どっかのサイトで誰かさんが「ルフィは正義に拘り、正義を行っている」とか書いてたんですよ。で、そこがONE PIECEが一部で賛否の分かれている所だとか。 なんか、ものすごくしっくりこない理論でした。実際には別の話をするための例としてそんな事を挙げていたのですが、なんかこの正義論の上げ方は不自然というか、白ご飯に生クリームとチョコをちりばめたようなミスマッチ。あーこの人はそんなにワンピ読んでないのかなーって思ってしまいました。 言いたいことは分かるんですよ。ルフィは嫌な奴とか真剣に生きてる人を馬鹿にするような連中が大嫌いですし、その判断基準の事を言っているんだなというのは。その人の記事の中でも「仲間と感じた人間には優しいが、敵と判断した相手には容赦がない」とか「そこに明確な線を引いている」そんなことを書いてました。つまり行く先々で仲良くなる人は「仲間」で、それに手を出す輩が「敵」なんだ、そしてそれを区別しているのがルフィの「正義」だ、ということですね。 でも、ルフィはいつかこんなことを言ってました。 「この海で一番自由な奴が海賊王だ!」、と。 ルフィーの行動原理は正義などという明確な区分の存在するものではないと、その時思ったのです。 ルフィは、ワンピ世界における海賊を「自由」の象徴だと考えてる、と私は思います。 海賊だから法律とか守らないし海軍の邪魔だってする。内政干渉も不法侵入もすれば、気に入らない奴をボコボコにもする。一見するとこれはとんでもない独善で無秩序です。やりたい放題の正に犯罪者。これでやってる本人が「これが正義だ!」などと言ってたら流石に誰でも違和感を覚えると思います。 でもルフィの言いたい自由っていうのはそういうものじゃないと思うんですよね。 人には沢山の気に入っている物と気に入らないものがあって、それを守るのにも倒すのにも多くの障害があります。その障害を自己責任で乗り越えて良いのがあの世界の海賊であって、どこまでも自分のやりたいところまで、手が届く範囲までやれる存在を指示しているんです。でもそれは逆を言えば本来の善良な市民として守られているエリアを超えている訳ですから、敵だらけの危険だらけになり得ます……というか、なります。 つまりルフィはそんな領域に飛び込んでまでして仲間を探したり冒険したりしたかった、その内なる欲求をどこまでも追求したかったということです。 要するに、ルフィ達はどこまでも自分の欲望に忠実なんです。それは正義とか悪という二元論で説明しきれない部分であって、後の判断も結果もすべて自己満足。正しい正しくないなんてことを彼はきっと考えてません。やりたいようにやって自分の信念を追求している、何所までも海賊らしい無法者なのです。 こうするべき、ではなくこうしたい、という欲望。 それが正義と信念の境目なのか。 私の考えが正しければ、正義という概念は悪が存在しないと成り立ちません。あのやなせたかし先生も「悪と正義は共存関係」だと生前語っていたそうです。つまり正義という言葉を使う人は、自分の中で許容しがたい存在を悪という形式に仕立て上げたい、そして悪は悪で正義を許容しないという対立関係においてこそ正義という概念が意味を成すのです。だから正義とそれをぶつける悪を欲さなければ、それは当人同士の信念と信念がぶつかり合っているだけのこと。信念は悪がなくとも成り立つのです。 えっと、ややこしいんですけど、つまり正義と悪っていうのは世界を二分するんです。例えその間に歪なとことや噛みあわない所があっても強引にまとめあげられて勝手に区分される。けど、信念と信念だと世界はもう目に見えないくらいバラバラに分割されるんです。ルフィはその分割された中の一粒であることを知っているから正義なんて言葉は使いません。その代りに使ったのが自由です。良い事も悪いことも楽しんでの海賊です。ある意味、善悪の彼岸を越えているんです。 だから私はその場でルフィが正義を持っているという意見がしっくりこなかったんだと思います。多分、ルフィは自分の信念を勝手に「正義」に当てはめられたら嫌だと思うから。だから勝手にそれを正義にしないで欲しいな、という思いだったのだと今になって思います 正義と言えば、同じく好きな作品「鋼の錬金術師」よりグリードというキャラがこんな理論を唱えてました。 要約すると、守りたいのも欲しいのも何かを欲する心とはつまり願いと同一で、欲望と願いには本質的に違いはない。だから欲に良いも悪いもない。人間の道徳倫理はそれに格付けしてるだけだ……ということです。 個人的に、正義という言葉の説明を行う上でこれ以上しっくりくるものを知りません。 正義と信念というのは、本質だけを見れば同じ意味かもしれない。 正義と信念は両方とも言葉として宗教・大衆的な意味を成すことが多いですが、ランクを落としていけば個人の主義主張まで範囲が狭まるはずです。 正義の所在は他人に決める事の出来ない絶対不可侵領域、つまり正義はたった一つ。それは自分の心にしか決められないし適応されないのです。他人の行動を正義という言葉で飾るのは、私はあまり感心しません。 |