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2014年 10月 14日 (火) 02時 37分
▼タイトル
きゅるっている論理
▼本文
ふと、狂人と聞いた瞬間に感じたもやっとしたものを書き連ねています。狂人というのは、狂っている人だから狂人です。でも狂っている=理解できないと解した場合、狂人と呼ばれる存在はごっそり減ります。
仮に4人の殺人鬼がいたとします。

Aは血を見るのがどうしようもなく大好きです。血が綺麗だと言います。
それは人の命を散らせてでも綺麗なものが見たいという願望です。血が綺麗なのは理解できなくとも、願望に負けて倫理を潰している。欲望に溺れていることが理解できます。

Bは自分の行動を邪魔する人や気に入らない人を片っ端から殺します。
それはBが、邪魔をされては自分が自分らしくあれないと考えているからです。若しくは嫌いな人間を排除したいという欲求を抑えられない。抑圧からの解放を求めて殺している事が理解できます。

Cは生きるためなら誰だって殺して物を奪います。
Cは生きるためなら当然として他の命を散らさなければいけないことを知っているし、生かしておけば後で自分に面倒が降りかかるかもしれないからと殺しを即決します。合理性があり、理解できます。

Dはよく分からないけど殺します。
基準はわかりません。でも殺します。楽しんでいるのかは分かりません。でも殺します。助ける事もあるけど、面倒がどうとか言っていていますが、どうせ生かすのも殺すのも面倒なくせにどこかに線引きしています。理解できません。故にDは狂人です。

この理論で行くと4人の殺人鬼の中で最も何を考えているのか行動原理が分からないDだけが狂人で、残りの3人は狂人とは違います。しかも、ABCは意思が一貫していますが、Dは本当に一貫しているかどうかも分かりません。不確定です。

ABCは狂っているのか?でも3人にとってはそれはご飯を食べなければお腹がすくのと同じくらい当たり前のことと考えています。もしそこに、その考えを得るに至った経緯まで書かれていれば、それは論理だった形で説明できる人間です。異常というのも一般から見て相対的な異常であり、単なるマイノリティな存在というだけかもしれません。その境に3人の狂人か否かの是非は揺れます。

ではDは狂人か?よく分からないけれど殺しているのは本当に狂人の証でしょうか。ただ毎日を生きていて、うどんとそばのどっちを食べようかという迷いを抱いた時に「どっちでもいいや」とうどんを選ぶ。それと相手の生死を決める事とどう違いがあるんでしょうか。万人受けする映画でも面白く感じない人がいるように、人間の命に価値を見いだすかどうかの判断は人に委ねられています。感覚で生きていれば、自分で何故それを選んだのかよく分からないけど気にはしないことだってあるでしょう。

ABCのそれは一つの事を貫き通せる強さでもあり、その反対を求められると対応できない弱さがあります。

Dは、対応できるかもしれないし出来ないかもしれません。それは人間が本来持つ不確定性ですが、強さも弱さもあるかどうかわかりません。窺い知れません。人間らしいはずなのに、人間らしくはない。一貫しているようで、一貫していないような気がする。不確定の癖に本人にしか解らない基準が存在している。

私は、個人的にはDはやはり狂人だと思います。不気味だからです。彼は人間の理性で確認しえない価値観を持った存在です。理解できないものを人は忌避しますから、私もやっぱり忌避します。ある意味殺人鬼は4人とも人間らしいのですが、それでもやっぱりDは浮いています。彼の理論は人類の持つそれから一段飛躍した所にあります。精神的にはもう人間ではないのかもしれません。人の言葉を喋っているのに、その判断基準は人の価値観で説明できないのです。

ぶれてることが人間なのか?
ぶれないことが人間なのか?
間を取ったから人間なのか?
判決を下すのは読者ですが、狂人を狂人たらしめるのは作者です。作者がDを生み出すというのは、作者が人間と言うものを区切る明確な線を心に持っていないせいだと思います。でなければDは作り出せません。それともDを生み出した作者が最初から狂っている?それとも私が狂っている?

狂人なんて本当にいるんでしょうか。もうよく分からなくなったので寝ます。
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