のつぶやき |
2014年 07月 10日 (木) 00時 31分 ▼タイトル さようならとこんにちは ▼本文 どうもです。鳩麦です つい昨日、二十歳という人生のある意味での大台に乗り、私も法律上の成人を果たしました。 とはいっても、精神的な面では今までと何ら変わりがなく、突然大人の自覚が出てくるわけでもないため、こればかりはこの先、ゆっくりと人生経験を積み重ねることで、少しずつ養っていきたいなと思っております。 さて、現代の日本人の生命が、多めに見積もって約80年持つとすると、僕の人生はこれで四分の一が終わったことになります。この先に今までの更に三倍の道のりが有るのかと思えば、少しは余裕が有るように感じなくもないですが、もしかしたら二倍かもしれませんし、あるいは実はもう倍無いのかもしれません。 それに関連して今SAOを書きながら、思ったことが、一つ。 僕は、死に臆病な人間です。 実を言うと小学校の頃、ひい婆さんが死んでからという物、僕はこの11年間、ずっと死を恐れたまま生きてきました。 夜、布団に包まった時、その体制から、寝たきりになる自分と、消えていく自分を想像して、足元に其処の無い穴が空くような恐怖にさらされた事が、何度となく有ります。 そんな死を恐れる自分が今キーボードをたたく先で、大暴れしている少女が居ます。 彼女は生まれながらにその短命を宣告され、余りにも理不尽に、僕と同等の年数すら生きることなく、その生を終える存在です。 それでも、彼女の生は、私にはとても輝いて見える。 きっと、死を恐れていないわけではないはずなのに、受け入れられているわけでもないはずだと、私は思うのに、余りにも輝かしく、彼女は一文一文の中で生きている。 彼女の生きたその一文一文を、私は何度となく読み返しました。けれどいまだに分からない事が有る。 彼女にとって、死とはなんなのでしょう? 抗うべき恐怖?戦うべき敵?受け入れるべき結末?普遍的な運命? その確定された終わりに対して、彼女は何を思い、何故其処まで輝きながら生きることが出来るのでしょう? その勇気が私は欲しい。 その力を、私は知りたい。 架空の存在だからとか、物語の登場人物だからとかそういうことではなく、彼女という一つの存在の生への、普遍的な疑問の答えを、私は見つけたい。 今僕は、キーボードをたたくたびに、その事をふと思っています。 死への恐怖が、どうやったら克服できるのか。 その答えが、どうしても知りたい。 答えが出ないまま、私は二十歳になりました。 ……さようなら、十歳だった私。 ……こんにちは、二十歳になった(死へ向かう)私。 |
2014年 07月 12日 (土) 13時 03分 鬼畜師 ▼タイトル さようならとこんにちは ▼本文(冒頭20文字) どうも、鬼畜師です。 成人おめでとうご... |
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