のつぶやき |
2014年 06月 27日 (金) 01時 10分 ▼タイトル 第二十章の感想への返信 ▼本文 皆様から頂いた感想の中で返信できるものに返信いたします。 ・休戦について 作中で書いたとおり、休戦の申し込みはラインハルトの罠ではありません。ラインハルトは本気で休戦を望んでいました。ラインハルトは辺境奪回に成功しています。あえて苦手な後退戦をやって同盟軍を殲滅するというのは、ラインハルト的ではありません。原作では目的に忠実で深追いをしないことが名将の条件と言われてますよね。ラインハルトは名将の中の名将です。 ・追撃について 追撃を受けたラインハルトには何の策もありませんでした。敗走は擬態ではありません。本当に敗北寸前でした。 ・ラインハルト配下の異常な戦意について いずれ作中で説明します。これまでと同様に原作にのっとった説明になります。 ・ロボスの技量について 作中では同盟軍の将官は選りすぐられた俊英揃いということになってます。その頂点にいるロボスは怪物です。同条件で戦えば、ラインハルトと五分と設定してます。ラインハルトは自分が有利な条件じゃないと戦わない人ですけどね。対等に近い条件で戦った今の歴史のアムリッツァはとても不本意だったのではないでしょうか。 ・ラインハルト配下の異常な戦意について いずれ作中にて説明します。 ・ラインハルトの逆転劇について 生涯で最も輝いている瞬間のナポレオン・ボナパルトやアレクサンドロス大王を敵サイドから見たら、九十四話のラインハルトみたいな感じだと思います。単なる用兵の達人、単なる戦場の勇者を越えた神秘的な何かです。 ・エリヤの大食いについて 物語の序盤に「飯をたくさん食う奴はいい軍人になれる」とクリスチアンに言われました。軍人としての資質を表しています。 ・ロボスが追撃を命じた理由 いずれ作中にて描写します ・ラインハルトの能力について 原作とほぼ同等。つまり、本物の天才です。本物の天才は素人目でも穴が見える策、未来知識があれば看破できる策なんか使いません。 原作が俯瞰的な立場で描いているのに対し、本作は直接対峙した凡人の立場で描いています。ですから、ラインハルトがより強大な存在のように感じられる。要するに視点の違いです。 たとえば、物資引き上げに関しては、「物資をすべて引き上げたのに、反乱を起こされなかった。同盟軍を追い払ったら、あっさり辺境の支配を回復できた」という結果から、住民感情を満足させつつ物資を引き上げる手段をとったと推測しました。ネットの一部では「ラインハルトは焦土作戦で辺境住民の人望を失った」とする解釈があるようですが、私はそれを採りません。ラインハルトと辺境の関係は、いずれ作中で描くことになろうかと思います。 ・大軍の用兵について ラインハルトは天才ですが、配下の司令官はラインハルトではありません。兵力が多くなればなるほど、ラインハルトの用兵から天才性が失われてシステマティックになっていくのは原作で描写されたとおりです。補給の充実、戦意の維持、計画通りの部隊移動といった要素が重要になります。ロボスは戦意の維持に失敗したということになりますね。 ・司令官と勤勉について 「有能な怠け者は司令官に、有能な働き者は参謀にせよ。無能な怠け者は、連絡将校か下級兵士にすべし。無能な働き者は、すぐに銃殺刑に処せ」という出所不明の格言があります。人気のある格言ですが、本作ではこの格言と異なる統率を理想的な統率として描写しております。 有能な怠け者が司令官に向くのは、部下に仕事を任せることができるから。そして余計なことをしないからだそうです。 しかし、部下に仕事を任せるならしっかり監督しなければなりません。必要に応じて指導も加える必要があるでしょう。任せると監督はセットです。任せるだけで監督しなければ、部署はあっという間に退廃します。部下を使う人は勤勉でなければなりません。 軍隊は大組織なので、勤勉な司令官でなければきっちり監督しきれません。監督業務にまともに取り組んだらどれほどの手間がかかるか、部下を使ったことがある人ならお分かりいただけるかと思います。 組織において余計なことと必要なことを見極められるのは、業務に通暁して全体をしっかり把握できる人だけです。これも勤勉でなければなしえません。 加えて司令官の統率には率先垂範、積極果敢が求められます。 誰よりも勤勉でブルドーザーのような馬力があるのが理想的な司令官でしょう。 「有能な怠け者は司令官に」というのは正しくないと私は考えます。 本作中のドーソンは「部下に仕事を任せて監督するぐらいなら、自分でやった方が簡単」という考えの人です。一見働き者に見えますが、監督業務の苦しさを避けて安易に流れています。プレイヤーとしては勤勉でも、管理者としては怠慢です。 |