のつぶやき |
2019年 07月 20日 (土) 19時 00分 ▼タイトル ONE PIECE オマツリ男爵と秘密の島 『リリーカーネーション』&『穢土転生』 ▼本文 先月、『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』を数年ぶりに見直しました。 作者が小学生であった時に映画館で見たのを覚えているので、今から約14年前に見たことになりますね。 "リリー・カーネーション"怖かった(汗) 巨大な黒いブツブツの斑点や、ナミ達が生贄として吸収され、オマツリ男爵の肩から生えてくるシーンが特に怖かった…… リリー・カーネーションからルフィに向かって数千の矢が飛来するシーンもヤバいです、はい ムツゴロウさんがナミとの会話の最中に一気に老け、皺だらけになるシーンもかなりトラウマです というか、普通、あんな悲惨な顔と姿を直視したらトラウマになると思うのですが、あらゆる意味でナミ凄ェ これまでのワンピース映画とは一線を画す残酷さとグロさ、オマツリ男爵の亡き仲間への執念、リリー・カーネーションへの生贄、リリー・カーネーションの醜悪な真の姿、映画の演出の仕方には終始、恐怖と驚愕、生理的嫌悪感を隠せませんでした 当時は怖ろしくてトラウマになりかけましたが、今では良い思い出です。 今回は『リリー・カーネーション』と『穢土転生』の死者蘇生を比較してみたいと思います。 誰もが一度くらいはリリー・カーネーションと穢土転生を比べたことがあるのではないでしょうか ・"リリー・カーネーション" …… 別名『死と再生の花』。生贄を捧げることで死者をこの世に蘇生することが可能な花 ・"穢土転生" …… 蘇生対象の人間の一定量の個人情報物質(DNA)を用意し、死者の魂の器となる生贄を用意することで死者をこの世に呼び戻すことが可能な術 < 類似点 > ・生きた生贄が必要 ・どちらも死者を現世に呼び戻すことが可能 ・ゾンビに近い形で死者をこの世に繋ぎ止めることが出来る ・生贄を用意することで幾人もの死者の蘇生が可能 (リリー・カーネーションは謎が多き花であるが、原作でも死者の蘇生の上限は明記されていない) ・蘇った死者にはリリー・カーネーションの場合は頭に双葉が生え、穢土転生の場合は瞳が黒ずむ・身体から塵芥が舞い散る・身体にひびが走る、などの生者とは異なる特徴を持つ ・負傷による出血は基本的に存在しない (イタチの天照による流血は別) ・リリー・カーネーションにより蘇った死者は通常、常人が死ぬ様な怪我でも効果がなく、穢土転生の場合は基本的に不死身の肉体を有する ・復活した死者は生前とほぼ同等の力を持つことが可能 (穢土転生の場合は術者の能力次第であるが、基本的に劣化状態。リリー・カーネーションは不明) → ただし、死亡時の姿で再現される穢土転生ではサソリや角都などの生前の死亡時とは異なる体で蘇生される例外が存在する ・穢土転生は基本、術者に絶対服従、リリー・カーネーションの場合はオマツリ男爵の指示に気味が悪いレベルで素直であること < 相違点 > ・リリー・カーネーションは穢土転生とは異なり、半永久的に生贄が必要であること → 生贄が不足している場合、死者も体調不良に陥ってしまう ・穢土転生では、死体の腐敗が酷く、身元の特定が困難な場合、失敗作がいくつも作られてしまうこと ・生贄を即座に死者の器にすることで殺す穢土転生とは違い、リリー・カーネーションは生贄を少しずつ養分として殺すこと ・不死身の肉体である穢土転生とは違い、リリー・カーネーションによって蘇った死者の肉体には活動限界が存在し、決して不死身ではないこと (恐らく生命エネルギーの枯渇が原因) ・穢土転生体は生前の記憶と"自分が現世に蘇ったことを自覚している"が、リリー・カーネーションの場合は記憶の混濁に加え、"自分が死んだことを心の底では自覚しているが、己が死者である自覚はない" (ムツゴロウの様にナミやロビンによる生前の記憶に迫る問い掛けがなければ自覚しない可能性が高い) ・穢土転生によるゾンビには術者に強制的に操られている自覚があるが、リリー・カーネーションの場合は死者達がオマツリ男爵に少なからず操られていることに対する自覚がない < リリー・カーネーションが勝っている点 > ・オマツリ男爵の力量に関係なく、リリー・カーネーションと融合?し、生贄を差し出すだけで死者の蘇生が可能であること ・不死身の肉体・無限のチャクラなど、過剰な戦力増強効果がなく、勝機が存在すること ・マダラの様な反逆の可能性が存在しないこと ・穢土転生とは違い、蘇った死者達は卑劣な行為を強制されないこと < 穢土転生の勝っている点 > ・術式さえ知っていれば、特別な血統は必要ないこと ・術の精度により2パターンの用途が存在すること (卑劣式 + 戦力の強化) ・遠隔操作 ・強制的な敵情報の抜き出し ・互乗起爆札による圧倒的な攻撃能力 ・敵の1人を生贄としてもう1人を穢土転生することで味方の人員の一切を犠牲としないこと ・用済みとなれば敵陣営に特攻させ、遠隔互乗起爆札により大損害を与えることが出来る → 正にローリスクハイリターンな術であり、敵に味方の死体を2人分送り返してあげる優しさを発揮する(汗) ・穢土転生体による穢土転生の行使 ・術者による死者の動向のある程度の把握 ・無限のチャクラ・不死身の肉体 ・術者の能力が高ければ、死亡時の肉体ではなく、全盛期に近い肉体で口寄せすることも可能 ・マダラの様に全盛期以上の肉体にチューニングも可能 ・術者に基本、何のリスクも存在していないこと → オマツリ男爵は生贄を絶えず捧げる必要がある上に、己の身にリリーカーネーションを寄生?させる必要がある(寄生のリスクは不明) ・術者が死亡した場合でも穢土転生体は半永久的に活動し続けること ・解術の困難さ < リリーカーネーションの不明な点 > ・穢土転生の場合は死者の死体が必要であるが、リリー・カーネーションの場合は死者の肉体が必要なのかどうかは不明 → 映画ではオマツリ男爵のかつての仲間の墓があり、オマツリ島の頂上にリリー・カーネーションが存在することから、触手か根っこによって死者の肉体とリンクしているのだろうか? しかし、オマツリ男爵はかつて大嵐で仲間を失っているため、死体は残っていない可能性が高い → 死者の頭に双葉が生え、消滅する際には木となって萎れる様に死ぬため、死者の本体は植物と化していると思われる ・生贄を必要とするインターバル ・ムツゴロウ達の詳細な蘇生方法 結論として、穢土転生の方が圧倒的に勝っており、コストパフォーマンスも非常にリーズナブルかつ術者へのリスクもほぼノーリスクであることが判明した。 穢土転生を考案し、発明した二代目千手扉間の発想力には驚きを隠せない。 リリー・カーネーションによる死者の復活はオマツリ島の名が示す様に一時の幻覚であったのかもしれない。 リリー・カーネーションは謎が多い花であるが、死者の一時的な蘇生は後のゲッコー・モリアの影によるゾンビ兵、ヨミヨミの実で復活したブルックなどの伏線、もしくは意図せずして生まれた彼らの先達だった可能性も? また、卑劣な術と称される穢土転生とは違い、リリー・カーネーションによって蘇った死者は自分が死者である自覚が皆無である点は穢土転生以上に卑劣かもしれない…… 勿論、どちらも世間一般では卑劣かつ外道な力であることに変わりないと思われる。 もし仮に、リリー・カーネーションが穢土転生の様な死者蘇生方法であれば、私は映画のタイトルはこう名付けたい 『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と卑劣な島』 長文失礼しました。 ※ これはあくまで全て私の個人的な意見です。 勘違いや間違いがあれば申し訳ないです。 お読みいただきありがとうございました。 |