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海戦型さん
のつぶやき
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2019年 05月 08日 (水) 00時 35分
▼タイトル
くしやき
▼本文
 
 ――何なのよ、もう!

 ジークリッテの胸中は世の理不尽に対する怒りに満ちていた。
 ろくでもない目に遭ったこと。傷心の心を癒す為のささやかな昼寝の時間を妨害されたこと。全裸の男に胸を揉まれたこと。その男に厚かましくも服を要求されたこと。どれも許しがたい事ではあったのだが、ジークリッテはここで彼への糾弾ではなくその場を共に離れる事を選んだ。

 要は、リスク管理だ。
 あれほど大きな破壊が起きたとあっては遅かれ早かれあの場所に人が集まる。そうすると事件現場に居合わせたジークリッテにあらぬ疑いかかけられるのは必定であり、唯でさえ落ちぶれたヒルデガント家に決して良い結果は齎さない。

 もちろん、この全裸のイケメンが爆発と共に『下から』現れた件について色々と思う所はある。まさに破壊の原因そのものではないかという疑惑も、当然ジークリッテは考えていた。先ほど思わず殴ったときも、恐らくは魔術防壁と思われるもので拳は防がれてしまっている。そのことからジークリッテは彼をはぐれ魔導士の類ではないかと思った。

 だが、もしそうであるから何なのだ、とジークリッテは自棄気味に思った。
 ジークリッテは先祖が軍門なのに武術も魔術も平均以下の落ちこぼれだ。もし相手が素手の通じない防壁を張り、水路を爆ぜさせる魔法を使えるのならば、もう力づくではどうにもならない。
 それに彼は服をくれと言ったのだ。乙女を前に股間を一切隠さないどころか恥じらいの欠片すら感じられない堂々たる立ち振る舞いだが、彼としても服がないのは不本意なのだ。

 ジークリッテは全裸の変質者に関わりたくないと思うだけの冷たさを持っている。
 しかし同時に、不本意の全裸に同情するだけの温かさも持っていなくはなかった。

「随分と複雑な構造だな」
「そう?まぁ、はぐれても探してあげないから気を付ければ?」
「諒解した」

 水路脇の道を全裸で歩く男――同い年か、少し年下くらいだろうか――が呟く。

 確かに知らない人には複雑に思えるかもしれない。ロイズという地は嘗て貴族の都合で元ある場所の上に無理やり道が敷かれたり、逆に貴族の作った道を上から踏みつけるように無意味な建築や非合理的な建築が行われている。都心側はそういった場所は少ないが、公園近くにはそのような場所も多く、年に何度かはここで子供が迷子になる。だからこそ公園ではその入り口になる場所周辺を立ち入り禁止区画としている。

 ジークリッテは子供の頃はここをマッピングして冒険遊びをしていたのでだいたいの道は分かるが、今では誰にも会わずに家に帰る道として使用しているのは複雑な心境だ。ただ、そのおかげでこの道を通れば全裸の男が歩き回る事案も周囲には認知されずに済む。

 しばし無言で歩いていたが、やはり男の正体が息になったジークリッテは質問を投げかけた。

「アンタ、名前は?」
「我が名は……」

 言いかけて、言葉が少し止まる。
 やや間をおいて、彼は少し言いにくそうに答える。

「ジーク」
「ジーク?」
「そう、ジークだ」
「そう……嫌な名前つけられたわね」
 
 何故彼が言いにくそうにしたのか、ジークリッテは何となく悟った。

「龍殺しの英雄ジークフレイドにあやかった名前ね。言い淀んだのは複雑な心境ってやつ?」
「分かるのか?」
「まぁ、私もジークリッテって名前だし」

 意外そうなジークの顔に、少し不幸自慢したくなったジークリッテは饒舌に語る。

「ご先祖様がジークフレイドなの、うちの家。分家の一つでしかない訳だけど、腐っても鯛だもの。偉大な先祖に恥ずかしくないのかってよく馬鹿にされるわ」

 事実上魔王との戦いを終わらせたと言える英雄ジークフレイドにあやかって子供にジークという名をつけることは、今でも珍しくはない。しかしつけられた子供にすればたまったものではなく、常に絵本や演劇のジークフレイドと比較される日々が待っている。
 親が付けたい名前が、子供の欲しい名前とは限らない。ましておぎゃあとかばぶぅとしか言えない間につけられてしまうのだから、気が付いた時にはどうしようもない。
 また、ジークという名は田舎や貧困層でつけられることが多い。そのため特に貧困層がなる場合の多い冒険者の新人は、十人集めれば一人はジークがいるといった有様だ。ありきたりで夢見がちな貧乏人の名なのだ、ジークは。

「たしかに、同一に扱われるのは嫌だな」
「でしょ?しかも私の場合、ジークリッテだから。女なのにジーク君って男みたいな呼び方されるの、結構屈辱的なんだ」
「そうなのか?」
「女呼ばわりされたい?」
「……快くは、ないな」

 ジークは顔を顰める。どうやら彼もジークリッテとは違いはあれど、ジークの名に苦しめられる同志らしい。分家と名前を付けられただけの人ではその悩みの方向性は違うだろうが、思わぬ共通項にジークリッテは彼に親近感を覚えた。

「じゃあ私の事はこれからリッテと呼びなさい」
「承知した、リッテ」

 ジークは素直に頷いた。
 端正な顔立ち、共通の悩み。
 ジークリッテの家柄を知ってなお、物怖じしない態度。

(これで全裸でなけりゃ恋の一つにでも落ちたかもしれないのにね〜……)

 非常に勿体ない男だ、と内心でリッテは彼にため息をついた。
 あとは胸を揉まれた件についての謝罪がまだだが、リッテは敢えてそれを口にしていなかった。貸しにしておいた方が後で使い途があると思ったからだ。底辺とはいえ名家の人間であるリッテは意外にちゃっかり者であった。



(ジークフレイドの子孫……ということは、それなりに世代は交代しているのか?駄目だ、人間の時間感覚が分からないうちは何とも言えん)

 一方のドラゴンもといジークもため息をつきたい気分だった。

 彼が名前を聞かれて逡巡したのは、嘗て人に化けて人里に入ったときにドラゴンという本名を誰も信じることがなかったという経験のせいだ。そのため考えに考えたのだが、残念なことにドラゴンがはっきり覚えている人間の名前は「ジーク」だけだった。
 ジークフレイドという男は、ドラゴンと戦った頃は仲間内ではジークという愛称で呼ばれていたので、それを用いたのだが、結果的に正解だったようだ。ジークという名前はありふれているらしく、疑われることはなかった。

 他の問答も恐らくは噛み合っていない。
 ドラゴンはジークを大敵として認めてはいるが、同一視されるのはプライドが拒む。
 女呼ばわりされるのが厭なのは、母から与えられた性を否定されるのが不愉快だったから。

 ジークは改めてリッテを見た。
 子孫と言うだけあって、確かに彼女はジークフレイドと似ている。それはドラゴン独自の感覚だが、髪の色ではなく魂の色が似ているように感じた。それでも彼の戦士の髪がもっと鮮やかな赤であったことを思うと、世代の積み重ねであの色が褪せて今の彼女があるのだという推測は出来る。

(人の一生は我に比べ瞬きの間……ジークフレイドよ。貴様はこの空が繋がる場所に、もういないのだろうな)

 嘗て自分に人の可能性を見せつけた赤毛の男を思い出し、ジークは静かに世の無常に思いを馳せた。
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