のつぶやき |
2019年 04月 27日 (土) 01時 07分 ▼タイトル ひつまぶし ▼本文 天と地の狭間、広大なる世界。 その片隅に存在する寂れた神殿が存在した。 辛うじて神殿としての体を保ってはいるが、既に建造から数千年が経過したその神殿は一部の物好きと巡礼者と呼ばれる人々しか訪れることはなく、ただ静かに朽ちてゆくのみ。 そんな神殿の奥に隠された『封印の間』の存在もまた、流れゆく歴史の中で朽ちてゆき、今やその神殿が嘗て人類の人口を十分の一にまで追い詰めた虐殺の暴王が眠っていることなど覚えてはいない。 封印の間には、複雑な封印魔方陣が多重に展開されているが、その封印も微かにノイズが入り、その強度が維持されているとは言い難い。そしてその中心に存在する巨大なクリスタルの内側に、光が封じ込められていた。 光。肉眼で見た者にはそう形容するしかない、物質的な輪郭を捉えられないそれ。 もしも見る者が見れば、その正体に戦慄したかもしれない。 と――封印の一つがパキン、と甲高い音を立てて弾けた。 それに呼応するように多重に敷かれた結界たちが次々に弾け、砕けていく。 粒子へと消えてゆく封印達の中心に鎮座したクリスタルが震え、まるで卵が孵る瞬間のように罅割れる。ばらばらと崩れるクリスタルの中心部にあったそれは、どくん、と胎動し、やがてゆっくりと輪郭を形成してゆく。 やがて不定形だったシルエットは人の形へと収束していき、クリスタルの上に膝を抱えた一人の少年が姿を現した。 少年はまさに生まれたままの服なき姿で、自らの体に落ちたクリスタルの破片を落としながら立ち上がる。直後、数歩よろけて鋭いクリスタルの破片の上に足が向かう。素足でそれを踏めば、普通ならば皮膚を貫き激痛が奔るだろう。 見る者が見れば目を覆う悲劇の予感――しかし、少年の足は『クリスタルを踏み砕いた』。 そのまま数歩進み、やっとしっかりとした足取りになった少年は、周囲に散らばったクリスタルの中でも一際大きな欠片を拾い、それを覗き込む。 「――業腹なり。肉体の再構成に当たって喪われた部分を補うためのイデア設計に、まさかあのニンゲンの血を使わざるを得なかったとは……」 クリスタルに映るのは、琥珀色の瞳と肩より少し長い白髪。 そして前髪の一部だけが真紅の色に染まり、アンバランスな色合いだ。 暫く憮然とした顔でクリスタルに映る自分を見つめていたが、やがて興味を喪ったようにクリスタルを投げ捨てて上を向く。 「果たしてあれから何年の刻が過ぎたのか……母上と兄弟たちの存在は微かにだが感じられるか」 少し考え、ひとまずこの狭く寂れた建造物の外に出ようと思った少年は上を向き、息を吸い込み――。 「覇ぁッ!!」 口から巨大な獄熱の閃光を発射し、遺跡上部を完全融解させた。 ぼたぼたと天井から溶岩と化した石が落ちてくる中、少年は久しぶりに瞳に差し込んできた空の光に目を細め、そして体を軽く丸める。 その背中から、『50メートル近くある赤黒い両翼』が噴出するように飛び出し、左右の遺跡を押し飛ばすように粉砕した。破壊された範囲が余りにも大きく、遺跡が地響きを立てて崩壊を始めていることに気付いた少年は、ぽりぽりと頬を掻いた。 「……む。体の大きさが変わると翼の大きさまで変えねばならんのか。慣らさねばならんな……」 困ったように呟いた少年の後ろで、翼は急速にその体積を縮め、ややて両翼合わせて3メートル程度になったところで収縮を止めた。力加減を確かめるように翼を数度ゆっくり羽ばたかせた少年は、次の瞬間には突風と大量の砂埃を残して空高くへと飛び立っていった。 = = 我が名は、龍(ドラゴン)。 偉大なりしかな母上――人間たちは魔王と呼んだ――によって創生されし『神殺しの三』の一柱である。 我が何者で何故封印されていたのか。 母上は何故魔王なのか。 『神殺しの三』とはなにか。 それを理解するには、少しばかり長い話を聞いてもらう必要がある。 遠い遠い、果てしなく昔のこと。 母上は、類まれなる力を有し、魔導を極めた存在であった。本来ならばそれは神の位に召し上げられても可笑しくない程の、並外れた創造の力を持っていた。しかし天地開闢の時代、母上は世界の創造に尽力されたにも関わらず、他の力ある者たちの姦計により神座と世界の分断に取り残された。 つまり、本来座して然るべき創造神の位を不当に奪われ、その後の神座からも存在しないものとして地上に追放されたのである。母上だけが、仲間出会った筈の存在たちから神に非ずという烙印を押されてしまったのだ。 理由は様々ある。当時母上が恋慕の情を抱いていた神と、同じ神を愛した女神との不和。母上の類まれなる力への嫉妬と恐怖。その全てが最終的に、母上を地上に棄てるという愚昧極まる結末へと歩みを進めさせてしまった。 神座と地上が分かたれるより以前、世界はどこであっても神の如き力を振るう事が出来た。しかし、神座という世界は地上から神の奇跡を切り離して構成した新次元世界。地上より神の御業を奪い、神の子たる命たちだけの世界にするための、いわば世界の法則の定義そのものだった。それを母上だけを除け者にして行ったことによって、母上は本来の力を行使できない世界に閉じ込められたのである。 母上は悲嘆にくれて百万回太陽が昇り、そして沈むまで涙を流し続け、その涙が海となった。 そして百万と一度目の朝日を迎えたとき、母上の悲しみは憤怒と憎悪に転じた。 こうして母上は神を殺す為に地上で扱える全ての力を総動員して神座を滅ぼす為の行動を開始したのである。 母上は類まれなる力の持ち主だった。それゆえに、神の力を喪った後であるにも関わらず神座の神々も目を剥く絶大な力を自ら地上に産み落とすことが出来た。それこそが我を含む『神殺しの三』である。 そして我は、その三の内の始祖(はじまり)の一。 最も単純で原始的に――『神を殺しうる圧倒的な戦闘能力』を与えられた存在。 つまり我は、神殺しという言葉の始まりにして、体現なのである。 しかし、神もさるもの。すぐさま自分たちの身の危険を察知した神々は分霊を用いて地上に降臨し、母上と我らを邪悪なる存在であるとして地上の命たちにけしかけさせたのである。母上によって創造された大地で、母上も創造にかかわったいわば我が子たちに、神々は虚偽の知識と神の力の欠片――超常的な能力、奇跡の御業、神器などを与えて手駒と変えた。 我は母上を苦しめ、貶めた神々が許せなかった。 そして神々の嘘を信じ、創造者を罵倒し殺めんとする愚かな人間が許せなかった。 神殺しと人類の熾烈な戦いは百の夜を超えても続いた。 しかし、この戦いの中で人は母上や神の想像と創造を遥かに超えた爆発的な成長を遂げていった。 我は母上の望みを抱える為、愚かな人間たち諸共地上を破壊し神々に今一歩で爪が届くところまで迫ったが、最後の最後で人間たちに後れを取った。勇者――そう呼ばれる人の中の英傑たち。彼らは神と神殺しの戦いに疑問を持ちながらも、我の暴虐を止める為に死力を尽くした。 あの矮小でちっぽけな体の一体どこからあれほどの力を発揮できるのか――我は敗北したとき、己の驕りを自覚すると同時に、見下していた人間たちに尊敬の念を抱いた。 彼らは同じだ。神殺しをなす為に死を覚悟して神に牙向いた我々と、隔絶した戦力差を覆す為に我の知らない力を振り絞った彼らは、小さな神殺したちなのだと思った。 今思い出しても忌々しいあの赤髪の勇者だけは最後まで気に入らなかった――これは我の戦士としての矜持が抱いた悔しさだ――が、最期に魔王と神々の戦いの真実を語る気になれる程度には、認める事が出来た。 我が覚えているのはそこまでだ。 その後、我は人と神によってその身を封じられ、今日に至るまで眠り続けてきた。 兄弟たちと母上がその後、どのような顛末を辿ったのか、或いはまだ戦っているのか。それは己が目で確かめなければ真実は知る事が出来ない。ただ、あの赤髪の勇者が真実を人類に伝えたのならば、少しは世界は変わっているのかもしれない。 また、何故龍たる我が人の姿をしているのか。これにも理由がある。 最近になって意識を取り戻した我は、封印を破るにあたって大きな問題を抱えた。 勇者との戦いで大きな傷を負い、更に封印された我は物質的な肉体を喪い、エーテル――根源の力――だけの存在となってしまっていた我は、肉体を再構成する為の神殺しのイデアが大きく損なわれ、龍の姿で復活できなかったのだ。 そんな時に復活の足掛かりとなったのが、最後の戦いの際に零れ落ちてこの身に降りかかった勇者の血だ。人は体が小さく神殺しの特権的な力も持たぬが故、イデアの構成が非常に単純だったのだ。故に我は勇者の血を基に肉体を再構成するしかなかったのだ。 おかげで体は当時の勇者のそれよりかなり幼くなり、髪の色に勇者の赤が微かに混じってしまった。己が龍であるという矜持からすれば好ましい肉体とは言えないが、ひそかにある目的を抱いている我にとってはかえって都合がよいのかもしれない。 「……そういえば、人は服なる衣を身に纏うのだったな。龍のイデアによってこの平べったい皮膚も龍の衣と化している為に防具など必要はないが……服とはどこで手に入るのだ?」 嘗て人に化けて人間の生活を少しだけ垣間見たことがある程度しか人間に詳しくない我は、早くも小さな困りごとを抱えて空を飛び続けた。 |