のつぶやき |
2016年 04月 06日 (水) 00時 50分 ▼タイトル 妄想物語12 ▼本文 ペトロ・カンテラを屋内移動用の高度に降ろし、二人の呪法師が仮設砦の中を歩く。 (外は立派な物だったけど、仮設だけあって中は寂しいものだな……) 外見は様々な光源によって照らし上げられていたが、立派なのは外の塀だけで内部には建物が僅か数個程度しか存在しない。端の方を見やれば建設中の資材と燃料、薪が積み重なっている。雨避けの屋根や宿舎らしいものはあるが、砦というよりはこの試験の為に仕方なく砦の体を保っているという印象だ。 しかし、結界の外にあるだけあってその構造は古代史に出てきたそれと全く同じ構造をしている。光源を複数重ねて呪獣の付け入る隙間を排した形状と、薪や油を効率的に補給し、長時間使用するために極めて合理的に設計された構造。 『樹』の呪法を用いて生成された特殊素材の松明は、蝋燭のように静かに、そして熱した炭より明るく砦の内外を照らしていた。『灯薪(とうしん)』と呼ばれるこの素材はオイルカンテラに比べて大型で持ち運びには不向きだが、多少の雨風程度ならものともせずに一晩しっかり燃え続ける。その抜群の安定性は開発から1600年が経過した現在でも完成された状態で維持されており、料理の火としても使える事から砦の外では必需品の一つに数えられている。 その『灯薪(とうしん)』の周囲には、まばらに試験を受けた呪法師が集まっていた。武器の整備、精神統一、帰り道でのポジション確認や戦術の変更――この場所で出来ることなどその程度だろう。恐らくは呪法が開発された古代でも、人々はこのように灯に集って戦いの準備を黙々と進めていたのだろう。 知らぬうちに自分たちも古代の戦士たちと同じ立場に辿り着いたことに不思議な感慨を覚えつつ、トレックとギルティーネは砦の管理者がいる建物へと向かう。呪法教会のシンボルである五芒星の魔法陣を象った旗がはためくそこに待っていたのは、安っぽい椅子に鎮座した正規の呪法師。肘をついたままこちらを一瞥した呪法師は、酷く事務的な男だった。名前を確認すると書類に蝋印を押し、応援の声ひとつかけずに書類をこちらに差し出した。 一応ながら感謝の意を込めて敬礼してみたが、返礼は返ってこなかった。 砦の中にある簡素な休憩場所に腰掛けながら、トレックはひと時の休息を取る。これまでの道のりで集中力を使ったこともあってか体に疲労感が押し寄せる。この試験は水や食料の持ち込みが禁じられているため、余計に疲労がたまっている錯覚を覚える。 戦いに支障を来すほどの疲労ではないが、一度集中が途絶えた状態で直ぐに外に出るのは不安要素がある。 ギルティーネは相変わらず無表情で直立しているが、彼女も体力の概念がないわけではない筈だ。 「ギルティーネさんは休まないの?」 「………………」 それとなく促すが、反応はない。こちらを見ているが、見ているだけだった。 これは自分の休息は必要ないという自信の現れなのだろうか。 彼女は何も語らない。人の言葉にはほとんど反応せず、時折飛ばす命令に沿ったような動きはしても、後はじっとこちらを見つめるばかりだった。透き通った瞳に映る自分自身の顔が、不安げに歪む。 不気味だ。今までの人生で感情の薄い人は沢山見てきたが、ここまで反応のない人間には出会ったことがない。彼女の胸が呼吸で微かに動いていなければ、自分は等身大の精巧な人形と二人きりでいるものだと思い込んでしまうだろう。 あるいは、彼女は今『人喰い』らしくトレックの臓物を喰らう算段を立てているのかもしれない。 あるいは、気の利かないトレックが休憩しろと言ってくれない事に焦れているのかもしれない。 あるいは、彼女の心は氷のように停止し、感情というものがないのかもしれない。 (………違う。意志はある筈だ。だって彼女は、人形じゃなくて人間なんだから) あの時にサーベルの柄を握る手が強まったのを、トレックは見た。 彼女も人間だ。賭する何かを持ち、戦っている。しかし――教導師の口ぶりからするに、彼女はその欠落を差し引いても『行動』そのものを制限されているのだろう。 だからその何かを共に掴むために、彼女のコンディションを『管理』する。 「ここにおいで」 自分の隣に空いた休憩所のベンチの一角をぽんぽんと叩く。ギルティーネは機械的に動き、トレックが叩いた場所に寸分の狂いもなく収まった。ベンチにカタリと音を立ててサーベルの鞘がぶつかり、また静寂。 帰り道に関しては、特筆するほど警戒すべきポイントはない筈だ。先ほど別の学徒の会話を聞いた限りではすぐ近くに舗装された道もあるらしい。道を通って戻りきれば、晴れて二人は実地試験を合格できる。 (二人、か――このタッグ契約は果たして実地試験の後も続くのかな) 契約時にはその辺りの事がはっきりしなかった。ずっと一緒かもしれないし、すぐ解散かもしれない。解散すればまた地獄が待っているが、一緒ならばそれはそれで気苦労が多そうだ。ギルティーネの方を見やると、彼女はこちらから目を離して灯薪の暖かな光を見つめている。 その横顔は絵画のように美しいが、ひとつだけ、その美しさを阻害するものがある。 鉄仮面を被せられていたせいでくしゃくしゃにされた、彼女の黒髪だ。 トレックは、彼女を解放した時に「櫛を貸してあげよう」と思ったのを今更になって思い出した。 母親からもらった小さな櫛はトレックの愛用品だ。特別高価な代物ではないが、自らの寝癖が付きやすい金髪を梳かすのに毎日のように使用している。一時気は何故か先端のみ黒く変色する毛先を染めるのにも使用していた。『欠落』持ちには身だしなみに極端にこだわる人と全くこだわらない人でほぼ真っ二つに分かれているが、トレックは小さな身だしなみ程度……普通止まりの拘りだ。 その拘りを貫く事も許されなかった彼女の髪は、女性から見れば「泣いている」のだろう。 それはきっと、灯薪の光が生み出した陰影が目を錯覚させたのだろう――彼女の横顔は何となく、髪が傷んでいることに悲しみを覚えているように見えた。 懐に放り込んでおいた櫛を取り出したトレックは、ギルティーネにそれを手渡した。 「これ使って、髪を梳いて」 手渡された櫛を暫く見つめたギルティーネは――突如として立ち上がる。 急に立ち上がった理由が分からず呆気にとられているトレックを無視したギルティーネはベンチの裏に回ってトレックの背後に立ち、細い指でトレックの髪を掬い――。 「………………」 ものすごく優しい手つきでその金髪を梳きはじめた。 時には優しく、時には強めに、乱れた髪の全てを直線に戻すような華麗な手さばきに暫く呆然としたトレックは、気付く。彼女は致命的な勘違いをしていることに。 「いやいやいや、そうじゃないよ!?俺じゃなくて自分の髪の毛を梳いてって事なんだけど!?」 「………………」 「無視!?」 ギルティーネはサラサラになるまでトレックの髪を櫛で梳きつづける。「もういいから」と頭を動かそうとしたら、鋭い動きで頭を固定され、更に梳かされる。しかもその手つきが母親を連想させるほどに柔らかく、そして暖かい。 (ほんっと、この人何考えてるのか分かんない……) マジボケなのか人で遊んでいるのかは全く理解できなかったが、予想以上に彼女の髪梳かしが心地よかったためトレックは抵抗を諦めて暫く為されるがままだった。 = = 男と女の関係は、ラブラブとかよりも「二人とも可愛い」事の方を大事にしたい。 |