のつぶやき |
2015年 07月 20日 (月) 21時 47分 ▼タイトル 今日も今日とてどうでもいい話 ▼本文 偶には何かタメになる話しろよと言われそうな程にどうでもいい話を量産するのも私の趣味です。 ファンタジーとSFなら本当はSFが好きなんですよね。 まぁだから何なの?ってな話なのですが、超個人的に、ファンタジーは面白いけど納得いかない時があります。今回はそう言う話です。 例えば神様や英霊。最近は現代に神話や英雄譚を持ち出してくる作品や、直接的に存在する神を主眼に置いた作品が目立つようになりました。神様が出てきて派手に力を振るって嘗ての神話をネタにいろんなことをやる、なんてのもあれば、神の力や血、遺伝子を受け継いで滅茶苦茶強いというのもあります。英霊云々に関しては今更指摘するほどの事でもないですね。実はお前の父は云々かんぬんなんてファンタジーではよくあることです。 対してSFには神などいない。……という訳ではありません。割と神も出てきます。しかしそれは神話とかで出てくる荘厳な神という訳ではなく、言うならば人知を超えた特異存在や、或いは人自身が作り出してしまった手の付けられないものを暗喩しているといいますか、神と直接呼ばれずとも神に近しい存在として描かれます。英雄の存在が特別扱いされることはあったりなかったりで扱いとしては軽めです。 纏めてしまうと、ファンタジーの神や英霊は過去へとさかのぼり、SFの神は未来へ向いています。一概にすべてがそうとは言えませんが、前者は過去を掘り下げることで深みが増すのに対し、後者は大抵予測不能の方角へと話が膨れ上がります。 また、武器やテクノロジーに関しても違いがあります。 ファンタジー作品では古代文明の遺産や伝説の剣とか、過去の神秘や栄光に頼る傾向にあります。古代のなんとかが復活して、対抗できるのは伝説のなんとか剣!とか、古代の飛行船的乗り物を使えば敵の本拠地に行ける、とか。あとラスボスは大体過去の陰画に囚われている場合が多いですね。 対してSFは、作品によっては過去の遺物に頼る展開もありますが、基本的には持ち前の技術力で全力対抗しようとします。新型爆弾を使えば倒せるけど、数が用意できなかったから大切に使え!とか、もっと直接的に言えば決戦兵器の類とか。或いはそのようなテクノロジーそのものが敵になることもありますが、敵と味方のどちらかは大抵未来志向です。 こちらもまた過去と未来のどちらに向かうかで別れている部分が大きいです。まぁキャラクターたちは未来を求めて色んなものを求めたり捨てたりするので物語の終着点は結構似通っていますが。 それはさておき、私は個人的に過去へ向かうのは好きじゃありません。 過去は過ぎ去ったものです。ロマンを感じるのはいいし、参考にするのもいい。けどそれは掘り返して頼りきるものではないです。それがないと今の危機を絶対に乗り越えられないなんて、そんなのは運任せでしかありませんし、過去の栄光を現代の人間が突破できない理由が全く分からない。 そりゃ失った技術や想いの所為で苦戦することはあるでしょうけど、過去の人達は何も持っていない所からその壁を破る術を模索したわけで、それと同じことを現代の人だってやるはずです。なのに過去の人だけ成功するのは道理に合わないと理不尽に思うのです。 過去の凄まじい存在から何かを受け継いでいるから強い、という流れも内心では「なんだそれ」と感じる時があります。英雄だって神だってテクノロジーだってスタート地点があるはずです。そのスタート地点に今を生きる人が立てず、過去の系譜を継ぐことでしか強くなれないなんておかしいじゃないですか。 何でそこで過去に頼ってしまうのか。過去は過去で現在は現在、未来は未来です。全ては連続していますが、必ず繋がっている訳ではありません。肝心な部分の根拠が自分の与り知らない大昔にあるのは、現在を軽んじすぎてるんじゃないかとよく感じるのです。 ………とまぁ色々と書きまくりましたが、結局これは私の一面的な物の見方でしかないので、あくまで納得いかない「時がある」です。ただ、そういう感想を覚える作品が段々増えてるのでそんなことを考えただけでございます。 以上、「過去に頼ってねぇで自力で解決しろよ!!」ってな話でした。 |