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2015年 06月 30日 (火) 22時 28分
▼タイトル
ひまつぶしpart.9
▼本文
 
 朝、ふと目を覚ますと女の子が横にいた。
 今までの娯楽小説やアニメーション、漫画で一体何度この定型的な展開が繰り返されただろうか。
 何度、何人の男がこの展開を踏み、そして混乱の渦にたたき起こされたのだろう。
 これは世界そのものが抱える永遠の命題にして、呪い。許されざる事象変異。
 人類が文化を持つ限り繰り返される永劫回帰(ツァラトゥストラ)の語りかける魔の運命。

 その運命が今日、一人の男の運命に毒蛇の如く絡みついていた。

 ……物理的に、腰に。

「ふっ!くっ!………だ、駄目だ……!鉄骨でも巻き付けられたみたいに動かない……!!」
「にゃむーん………むにょぴー……」
「どんな寝息だそれ……!?」

 同世代の女性に裸で抱き着かれているなどという精神衛生上あまりにもよろしくない状況から必死で脱却しようと努力した雄大だったが、銀色少女の腕はがっちり固定されていてピクリとも動かない。ボウリングの球で野球ができる程度には筋力に自信がある雄大の手でも引き剥がせないとなると既に鋼鉄並みの強度である。
 肝心の少女はというと、未だによく分からない寝言を呟きながら雄大の身体に抱き着いている。
 むにゅ、と彼女の胸の谷間が変形するのが見える。腹筋の辺りに伝わる艶めかしい柔らかさが雄大の理性を大いに揺さぶった。このままではR-18の暖簾を自分の意志でくぐってしまいそうである。や、くぐらないけど。

「もしもし!もしもーし!?お願いだから起きてくれませんかぁーー!?というか誰!?マジで誰なの!?」
「んんん………さつまいもごはんを……しょもうしまふ……」
「段々とフリーダムな寝言になってきたぞこの子!?」

 その後、ひょっとしてお腹減ってるの?と推測した雄大が彼女を引きずったまま奇跡的に持っていたサツマイモでサツマイモごはんを炊くことで、やっと彼女は目を覚ました。

「はっ……さ、さつまいもごはんの香り!?30年ぶりのホクホクさつまいもごはんの香り!!」
「や、やっと目を覚ましてくれたか……ハイ、服着て。俺のお古のシャツだけど、これ着たらご飯食べさせてあげる」
「ん!分かった!」

 あっさりと俺から手を放した銀色少女は素直に服を受け取った。
 あれ、ものすごく物わかりがいい。とりあえず彼女の着替え風景を見ないように後ろを向いて待つ。
 なにやらどたんばたんと騒がしいが、雄大は辛抱強く着替えを待った。さっきも可能な限り少女の肢体を見ないように気を付けてシャツを渡したのだ。これ以上目の毒なのは遠慮してもらいたい。

 待って待って数分後、肩をちょんちょんとつつく感触に、俺はやっと服を着たのかとため息をつきながら振り返る。
 そしたら、そこにシャツの頭を出すところから腕をはみ出した謎のクリーチャーがそこにいた。うごうご動きながらシャツのあちこちに頭や腕らしきでっぱりが移動しているが、うーんうーんという困ったような唸り声が漏れるばかりで一向にちゃんと着られる気配がない。

「着かた、わかんない……着せて」

 子犬が震えるようなか細い声を聞く限り、本気で着れないらしい。

「………分かった。取り敢えず、せめて後ろ向いてくれ。俺の心の平静の為に」
「ん」

 不思議なシルエットのまま後ろを向く銀色少女から一旦シャツを脱がす。少女が驚くほど無抵抗なため、逆に変に落ち着かない気分になった。別に変な事をしてる訳ではないんだが。
 女性らしく華奢でシルクのような白い肌がむき出しになり、雄大は思わずそっと目を逸らした。背中からとはいえ裸の女性を至近距離で見るというのは、それはそれで変な背徳感があって落ち着かない。と――雄大は、そのまっさらな背中を上った先、ちょうどうなじの近くに何か黒い文様のようなものがあることに気付く。

(これは、神秘数列(ステグマータ)?変だな。神秘数列を刻む場所は掌で統一されている筈なのに……なんでこんなことろに?)

 どうやらこの少女もまた、ソードシステムの適用を受けた自治区に関わる人間らしい。
 神秘数列の場所こそおかしいが、システム適用を受けている以上はシステムに関連する場所で暮らしていた証拠だ。ということは、彼女はこの町の住民である可能性が高い。
 ……となると、彼女がどうやってこの部屋に入ってきて、何故裸で毛布の中にいたのかが謎でしょうがない。泥棒なら部屋で一夜を明かす必要はないし、特殊性癖……とは考えづらい。というか考えたくない。他に考えられるのはやはり――

「ねえ、まだ?」
「あ……ごめんごめん。両手を上に挙げて?」
「ん!」

 その「ん」って返事は口癖なのか?と思いながら、雄大はどうにか少女にシャツを着せた。重ねてジャージも渡してみたがやっぱり上手く着る事が出来ず、涙目でこちらを見てきたので仕方なく手伝った。まさかこの年になって同年代の女の子に服を着せることになるとは………銀髪少女の肌色が精神力と忍耐力をガリガリ削っていく。
 当たり前といえば当たり前だが、雄大とて健全な男の子。この他人から見たら限りなくセクハラな行為を好き好んでやれるほど神経は図太くない。

(くぅぅぅぅ……こういうのは屋敷の召使いとか!そういう人間のやる仕事じゃないのか!?ああでもこの子を裸のまま放置しておくのはなぁ……しかも他人に見つかったらそれはそれで犯罪者扱い確定!結局俺がやるしかないのか……!)

 ふと、昨日に統舞が厄介事の予感を察知していた事を想い出した雄大は、言われるがままに動く銀色少女になんとかジャージを着せる事に成功した。


 = =


「……それで」
「?」

 こてんと小首を傾げる銀色少女に俺は質問した。

「君はいったい誰なんだ?」
「あたし?あたしは………人間だよ」

 すごく真剣な顔でさも重要な事のように、ものすごく当たり前の返答をされた。
 いや、そうじゃないんだ。こっちが聞きたいのはそう言う意味じゃなくてね……。

「うん、そこは見れば分かるから……ええと、名前は?」
「名前?名前…………」

 少女は俯いて考え込み……考え込み……余りのレスポンスの悪さに「ひょっとして俺のこと忘れてる?」と質問しようか雄大が悩みだした数分後、涙をいっぱいに溜めた悲痛な表情でこう告げた。

「どうしよう。あたし、自分の名前忘れちゃった………!!」
「散々待たせておいてそれかぁぁーーーいッ!!いや、大変な事態ではあるけどね!?」
「ええっと、ええっと………だめ!やっぱり思い出せない!!」

 必死で思い出そうと頭を抱えて知恵を絞るが、やっぱり思い出せないのか銀色少女は困り果てている。そんな彼女の扱いに俺も困り果てているのだが。この子、もしかして……

「記憶喪失、なのか?」
「違うの!記憶はあるから!」
「違うんかいっ!てっきりお決まりのパターンかと思ったよ!」

 こういう時に記憶喪失というのは物語ではそれなりにあるパターンだが、違うらしい。
 しかし自分の名前を忘れるなんてそんな器用な事できるだろうか?この子、実はものすごく記憶力が低いのだろうか?、などと失礼千万な事を考える。当の少女はぐすぐす鼻を鳴らしながら落ち込んでいる。その落ち込みっぷりたるや、身体にカビやキノコが生えてきそうな勢いのどよんとした空気に押し潰されている。

「長い事自分の名前を名乗ることがなかったから忘れちゃっただけなの!!うぅぅぅ………せっかく30年ぶりに人の姿に戻れたのにぃ……恩人に名前すら教えられないなんて!!」
「そうだな。それは不幸な事だ……30年ぶりに人の姿に戻れたのに………………………………ん?」

 はて、たった今とても奇妙なワードが聞こえたような……?
 いや、多分何かの危機間違いだろう。多分記憶が混乱してあらぬことを言ってしまっているのだ。迷える哀れな仔羊なのだ。彼女のような存在にこそ救いが必要なのだろう。アーメンハレルヤエロイムエッサイムである。うん、聞き間違い聞き間違い。

「訳の分からない実験の所為で体が剣に変わって30年……食べる事も飲むことも出来ずに、ただ見えて聞こえるだけの毎日……死にたいと思っても死ねずに生き続けているうちに、記憶が摩耗してたんだ……」
「や、聞き間違いだよな。30日とかの間違いだし剣の形の何かに閉じ込められて怖かったとかそういうのだよな……」

 そう言いながら、雄大は今、必死に探している物があった。
 あれが……寝る前まで持っていた実剣が見当たらない。包んであったバスタオルは毛布の中にあるのに剣だけない。そして、剣の代わりに目が覚めたら銀髪少女は毛布の中にいた。

 雄大の頭の中でかちかちと摩訶不思議な情報が組み合って形になっていく。
 剣に変わった、という話と剣のない現状。消滅した剣と、剣になっていたという少女。
 服――剣なら服など来ている筈がない。鉄のような腕の硬さ――剣なら当然鉄だろう。
 30年と言っていたが、剣にこびり付いた汚れは10年や20年のものにしては黒ずみ過ぎていた。

(はははいやいやまさかね?まさかそんな、偶然の符合だろう)

 変な汗がダラダラ出てくる。いや、いやいや。人が剣になるなんてそんなファンタジーみたいな話、この世界にある筈は――と考えて、あ、と固まる。
 ソードシステムは、人の意志などという曖昧なものを剣として実体化させる意味不明な技術だ。
 そう、その実態はほとんど知られていない訳だから――彼女のうなじにあった『神秘数列』にそのような機能がある可能性は、否定できないのではないか?

「ファンタジー、あった……」
「なまえ〜……なまえ〜……ハッ!!さつまいもごはんを食べれば思い出せるかも!?30年ぶりのごはん〜〜〜!!」

 家のどこかから見つけ出したしゃもじとお茶碗を掲げて炊飯器へ向かう銀髪少女を前に、雄大は考えるのが面倒になって思考を放り出した。
 
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