『冥王来訪』への感想
投稿者:[非会員]の感想
[2024年 11月 12日 12時 53分]
▼一言
法王・道鏡に関して言えば、日本には君主の権力を強化できる僧侶がいるから宦官は必要ないのでしょうか?
投稿者:
雄渾
[2024年 11月 12日 (日) 16時 11分 48秒]
>宦官
おそらく宦官に関しては日本には漢籍経由で伝わっていたでしょう。
ただ家畜類に対して去勢をする習慣がなかったことと、人間そのものを去勢するという事に関してある種の忌避感を抱いていたのだと思います。
去勢をすれば、動物の雄は力を失いますから、人間でやればよくない結果になると見聞きしていて、あえてしなかったのも考えられます。
そのまま使って、不要になれば殺せばいいという考えもあったでしょうし、男女で仕事の区分を分ければいいという考えもありました。
(奈良時代や平安時代初期は、男性の官僚の他に、宮中に出入りする女官の数もかなりいました。
奥を管理するのは女性だけでやらせればいいという考えは、江戸時代の大奥にもつながる考えです)
特に奈良時代は人口が500万人しかいないのに1万人近い人間が中央の官庁に出入りするという時代でしたから、何かと人不足で、優秀な人材を集めることが優先された面もあると思います。
この時代の僧侶に関しては、僧侶の数も少ないですし、基本的に高位の貴族の出身ですから、今でいうカウンセラーや精神科の医者という感じで簡単に御座所に出入りできました。
称徳天皇もそうですが、母親の光明皇后は病気がちで、自分が管理する薬草園を作らせています。
また、光明皇后の異母姉であり、聖武天皇生母で、称徳天皇の祖母にあたる藤原宮子は37年間精神病で人前に出られないほどでした。
聖武天皇を生んで間もなく精神病になったというので居間でいう産後鬱でしょうが、これも僧侶の祈祷によって完治したと史書「続日本紀」には書かれています。
道鏡は皇位を淳仁天皇に譲位した後の称徳天皇の侍医として史書に名前が出てくる人です。
おそらくうつ病だと思いますが、加持祈祷で治療した後、称徳天皇からの信認を得て、出世の道が開けてきます。
道鏡の出世は、当時皇室の周囲にいた藤原氏にとっては非常に目障りな存在で、政治的な対立を招き、藤原仲麻呂の乱が起きますがこれを譲位していた称徳天皇は激怒し、鎮圧します。
時期は忘れましたがその頃には称徳天皇は出家していて尼僧になっていました。
称徳天皇自身が尼僧だったこともあって、道鏡は仏教の師という事で朝廷で重宝されるようになりました。
長々と書きましたが、道鏡は精神的に不安定だった称徳天皇の寵愛を受けることで出世した面は否定できないでしょう。
ただ飛鳥時代から奈良時代は、日本史の中でも一番皇族同士が権力闘争で殺し合った時代なので、そのことを悔いて、仏教に救いを求めている時代でもありました。
大規模な墳墓の造営に代わって、寺院建設が行われるようなったのもそういう背景があるのです。(寺院の方が後で再利用が可能という経済的な理由もありますが……)
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