『冥王来訪』への感想
投稿者:[非会員]の感想
[2024年 04月 03日 00時 46分]
▼一言
やはり、僕の拉致によって、シュタージの恐れというシーンの考えすぎるです。だが、もしアクスマンの私欲と考えば、彼は拉致の行動を組織できますが?
投稿者:
雄渾
[2024年 04月 03日 (日) 08時 11分 41秒]
シュタージの対外諜報部門、第1中央偵察総局は1952年の創設以来長らくマックス・ヴォルフが責任者を務めていました。
彼はドイツ系ユダヤ人で、戦前に共産党員だった父親とともに一家事ソ連に亡命した人物で、早くからNKVDにより見いだされ、諜報員として訓練を受けた人物です。
シュタージは荒事はしましたが、KGBによって事細かに管理されていました。
ヴォルフは、KGBの意向には逆らえませんでした。
CIAの援助を引き出して、BND創設に関わり、初代長官を務めた西ドイツのゲーレンとは違う点です。
彼の場合は、戦前からの諜報経験を買われて、米軍から戦後間もない時期の西ドイツの対ソ諜報を許された人物でした。
閑話休題。
アクスマン中佐は、国境警備隊の前職は、第一中央偵察総局に勤め、西ドイツ諜報の専門家でした。
ギヨーム事件で有名な、ギュンター・ギヨームなどとは同僚で、階級も中佐ですから、ほぼ同年代 とみて差し支えないでしょう。
東ドイツの場合は、軍並びに警察に代表される法執行機関もそうですが、役所での階級の上がる速度が非常にスローモーでした。
戦前に第三帝国で活躍したテクノクラートを再雇用した関係で、一定の年齢層が固まって残っており、昇進を難しくした面がありました。
またソ連側も、東ドイツの軍備や諜報機関の拡大を恐れて、将校や諜報機関の正規職員の数を絞っていた面があります。
シュタージの場合は、正規職員は最大でも9万人で、将校だけに関して言えば2万人前後だったともいわれております。非正規職員である非公式協力者は1989年の段階で20万人でした。
東ドイツの人口は1970年代以降、1600万人前後で推移しました。
人口2億を誇るソ連の場合でも、KGBは正規職員36万人ですから、如何に巨大な組織であったかが分かると思います。
以上のような状態ですから、アクスマンが外国での工作対象を拉致しようとすると、まずヴォルフに相談しなくてはいけません。
ヴォルフが作戦計画書にハンコを押しても、最終的にはKGBにお伺いを立てる必要がありました。
ドレスデンにあるKGB支部に出向いて、作戦計画の詳細を話した後、モスクワのKGB本部からの了承を貰わねばなりません。
KGBは、相手が将官級であっても、大体、佐官級がシュタージに対応して、顎でこき使ったと言います。
KGBは命令を出すのですが、はっきりと指示を出さないで、提案を聞いてから、「良い」「拙い」というあいまいな答え方で指示を出したそうです。
これは全ての作戦行動の責任をシュタージに負わせて、KGBが非難されないようにするための措置でした。
1970年代から1980年代に起きた西ドイツでの赤軍派によるテロ事件は、KGBが指令を出して、シュタージが資金援助をして起こした事件でした。
この事件の時、ヴォルフやシュタージ長官のミルケは、西ドイツからの追訴を恐れ、シュタージの関与を嫌がったそうです。
ですが、KGBの命令には逆らえず、積極的に関与し、テロ行動を支援したそうです。
アクスマンの場合は、早くからソ連に目を付けられているでしょう。
私利私欲で、誘拐事件やテロ工作を起こそうとすれば、西ドイツからの追訴を恐れているヴォルフやミルケに潰されるでしょう。
それにKGBが許可を出すでしょうか。
まず無理でしょう。
シュタージの場合は、箸の上げ下げまで文句を付けました。
アクスマンが独断でそんな事をしようとするなら、モスクワから人がすっ飛んできて懲戒対象です。
あるいは、国境警備隊に数年飛ばされていたことを考えると、KGBの不興を買って、花形の対外諜報部門から左遷されたのかもしれません。
シュタージから国家人民軍の外局の一つである国境警備隊に出向させられた真相は、そうなのかもしれませんね。
そこで腐っていて、様々な不良行為を堂々と働いていた可能性もあります。
アクスマンが首魁を務めるベルリン派は、シュタージのゴミ捨て場だった可能性が高いですね。
妄想をたくましくすれば、腐っていたアクスマンに取り入る形でCIAが近づいて、シュタージファイルの窃盗を計画したのかもしれません。
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