『冥王来訪』への感想
投稿者:[非会員]の感想
[2024年 01月 20日 10時 02分]
▼一言
どころが、西ドイツのBNDは東ドイツを消滅する考えことがありますが?
投稿者:
雄渾
[2024年 01月 20日 (日) 11時 02分 51秒]
史実での話でしょうか、はたまたマブラヴ世界の話でしょうか。
両方の前提で話をしてみたいと思います。
>史実のBND
まず、史実ですが、1989年の壁崩壊に関しては、寝耳に水だったのが真相の様です。
オットー・ハプスブルグ大公が始めた「凡・ヨーロッパ・ピクニック運動」ですが、西ドイツ政府は陰ながら協力を惜しみませんでした。
国内外の移動の自由を発表したハンガリー国内にいた1000人以上の東ドイツ人を西ドイツ大使館で保護し、「凡・ヨーロッパ・ピクニック運動」のイベント当日に合わせて、国境の開放をハンガリー政府や治安機関、オーストリーと綿密に打ち合わせて、亡命者を受け入れました。
一応シュタージは党の若手幹部でSEDの下部組織「ドイツ民主青年団」をまとめるエレゴン・クレンツに相談しています。
クレンツの回想によりますと、彼からホーネッカーに報告書をあげたそうですが、建国40年のイベントとゴルバチョフ書記長の来独に合わせて日程調整していた関係上、報告書は金庫に放り込まれたそうです。
ホーネッカーは、信任の厚いミルケ長官経由で、事情は知っていたのかもしれませんが、クレンツは2週間の休暇という懲罰を受け、政界から遠ざけられました。
西ドイツは一応東ドイツにも連絡事務所を持っており、その中の複数名はBNDの工作員として教会関係者や徴兵忌避者にも関わりを持っていたそうです。
(東ドイツでは徴兵忌避は、公式に国民の権利として認められていました)
崩壊は予想していたかもしれませんが、1年ほどで国がなくなるとは考えていなかったでしょう。
当時の主要国の考えとしては。
ソ連は2000年前後、米国も1990年代の後半と考えているという資料がありました。
英仏としては、ベルリンの壁が存続して分断国家であることを望んでいました。
わが日本でも予想外の事態との受け止め方でしたが、1980年台に東西ドイツに留学した人間は東西分断が徐々に虚構の物となっているのを実感していました。
以下は、当時西ドイツに留学した医師の方の回顧録です。
http://www.saitamakinen-h.or.jp/news_head/%E8%A5%BF%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E7%95%99%E5%AD%A6%E3%81%AE%E6%80%9D%E3%81%84%E5%87%BA/
>マブラヴ世界のBND
マブラヴ世界の東西ドイツ、特にシュバルツェスマーケンは、冷戦期のドイツに仮託した現代南北朝鮮の風刺画(カリカチュア)です。
これは内田弘樹先生が暗に認めています。
なので、国境を通じての行き来はなく、秘密警察シュタージが国境警備をやるというKGB型組織を持つ極端なスターリン主義的な国家です。
西の情報は簡単に入ってきませんし、西ベルリンにはなんと陸送で物資を何とか送り込む状態です。
BETA進撃に際しての西ベルリン市民の疎開も、わざわざ東ドイツの顔色をうかがうほどです。
(西ベルリン市民の市民権は西ドイツではなく、連合国の管理下になっていて、徴兵は、西ドイツ政府の対象外でした)
沢山いたはずの英仏軍のパトロール大隊もいなくなっていますし……
それに西ドイツの貴族たちは東ドイツの市民を肉壁としか思っていないでしょう。
カティアのいた訓練学校、キルケのいる第51機甲大隊、その他もろもろの姿勢を見るとそうとしか思えません。
BNDも、崩壊されるより、現状維持の方が良いという姿勢は見て取れますね。
(工作員、アリョーシャ・ユングの態度もそんな感じでした)
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